二日酔い

2002年11月24日
 二日酔いで気持ちが悪い。午前中はずっと寝ていた。施行管理士の勉強もしたけど、ちょっとおざなり。
 12:30になり、重たい体を引きずって空手道場に赴く。幼年部と少年部の指導の当番日なのだ。教えながら体を動かしていたら、酒が抜けて気分が良くなってきた。気分が良いので少年部の初心者にも平安一まで型を教えたり、ミット打ちをさせたりした。子供達に教えるのは面倒で嫌いだったけど、なかなかいいもんだと思い直す。
 自分の子供達も稽古に来ているはずだったが、今日は次男が手足口病でお休み。長男に稽古をつけるが、自分の子供には異常に厳しくなる。「腰が高い」「前足をもっと曲げろ」と欠点を指摘しては軽く蹴りを入れてしまう。「こんなへっぴり腰でよく大会で優勝できたな。OOとXXが出なかったから、まぐれだ」と言うのが私の正直な感想だ。一般部の面々が来て、大会の写真をあげたW部さんにも「お子さん優勝したんですね」と聞かれたので同じ事を言った。
 家に帰り、バガボンドを読んで宮本武蔵になった気分で飯を食う。今はもう10:00。まだ、酒は飲んでいない。今週は完全に酒を抜いて施行管理士の勉強オンリーで行こうかな?
 なにしろ、私の今後1年間の運命がかかっている試験だからな。
 でも、きっと飲んでしまうんだろうな。
 まっ、いいか!
 さいたま市(旧大宮)の盆栽村の中に、北沢楽天の居宅跡に作られた漫画会館というのがある。
 今、ちば てつや展が行なわれており、今日はちば てつやが直々に来訪し、サイン会が行なわれた。
 朝9時頃から整理券をもらうため並ぶ。造園施行管理士や植木に関する本とイスを持って、じっくり待つつもりだったが、既にファンが沢山並んでいた。もうだめかな?と思ったが、限定100名のところ、83番目でセーフ。1番の人は朝の4:30から並んでいたとのことだ。
 そして82番目の人は、なんと友人M木君のカミサンT子さん。若い頃から「明日のジョー」の大ファンなのだそうだ。話しをしている内に、あっという間に整理券を配る時間になった。話の内容も、お屋敷街なので、木や庭の話になった。T子さんも木が好きなので、話に付き合ってくれた。奇特な人だ。
 サイン会の午後2時までは施行管理士の勉強をしたり、眠ったり、ゆったりまったり過ごす。
 そして午後2時。一族郎党4人でお出かけ。漫画会館の前はファンで物凄い人だかりだ。
 順番を待ち、質問などもする。
 私も「明日のジョーのファーストシーンとラストシーンは、梶原一騎先生の原作をちば先生が変えてケンカになったと聞いていますが?」と聞いてみた。「いやケンカにはなっていないけど、最初のシーンとラストシーンに関しては、ちょっと違うなと思って、私がいじってみただけ。向うはちょっと怒ってたけどね」との答え。うひょー、ちば てつやと話ができた!
 そして漫画会館が用意した、ちばキャラクターの絵入り色紙に、子供達の名前を書いてもらい、日付も直筆でサインをもらった。キャラクターは「俺は鉄平」の鉄平だ。私も子供達も握手してもらった。その瞬間をカミサンに写真に撮ってもらった。ウレピー!!!!!
 そうして、夜は野球チームの忘年会。3軒はしごして、意識を失った。気のおけない友人達とおおいに語らい、おおいに飲んだ。何時まで飲んでいたのか覚えていない。ああ面白かった。
 来週はいよいよ1級造園施行管理士の試験日だ。それが終れば造園学校の忘年会。
 楽しみだ!頑張るぞ!
 それで、人生の良き先輩でもある同窓生にいろいろ相談しよう。そうしよう。
 

刃物研ぎ師

2002年11月22日
 今日はお休み。
 朝から病院行って、破傷風の予防注射を打ってきた。これで破傷風の予防注射も最後だ。
 その後、大宮駅周辺にてショッピングetc.・・・。「落葉樹の庭つくり」「庭木のお医者さん」という本を買い、大宮ロフトに来ている播州刃物研ぎ師の所へ、愛用の木バサミ・剪定バサミ・刈り込みバサミ・剪定ノコを持っていった。
 研ぎ師は開口一番「ノコの目立てはできまへん!」と言う。本当は切れないノコに辟易して、各刃物類はついでに持っていったのだが・・・。
 仕方がないので、木バサミと刈り込みバサミと剪定バサミの研ぎをお願いする。「1時間半ほどかかりまっせ」との事なので、埼玉県庁へ行くことに。播州産の木バサミや剪定バサミが目に入る。どれも1万円前後するものだが、欲しい!
 県庁に行ったのは、情報公開センターにて造園2級技能士の私の得点を公開してもらうためだ。結果は無残。実技の技術試験80点満点中13点(ゲッ!)。実技の要素試験20点満点中9.5点(ゲゲッ!でも8点以上が合格ライン)。筆記試験は7割程度(一応合格してたけど9割は出来たと思っていたのでゲゲゲのゲッ!)。実技は計60点以上で合格だが、私はなんと23点(ナンジャコリャーッ!?)。これは、今度の施行管理士に向け、相当勉強しなければ。
 取って返して、刃物研ぎ師だ。剪定バサミも木バサミも刈り込みバサミも、きれいに研ぎ澄まされ、紙さえ切れるようになっていた。研ぎ方を実際に見て教わろうとしたが「夕方6時過ぎにきなはれ。そうすれば全部の研ぎが終わって、教えてあげられまっせ」と言われ、うちに帰る。研ぎ代はしめて2,800円。
 家では心を入れ替えてお勉強をし、その後まったりと昼寝。ああーー気持ちいい。平日休んで昼寝や読書(お勉強)はサイコーだ!
 そんで夕方、再びロフトへ。別の木バサミと剪定バサミを持っていって、実演しながら、研ぎ方を教わる。
「あんさんのは裏がダレてしまってるのや。裏側は砥粉と竹のへらで汚れを落すだけ」
「植木屋さんはみんな研ぎすぎや。植木用の刃物はそんなに研がんとよろしい。こっからはあんさんらに出来ない作業やで」と言って、ガタガタになった刃をグラインダーできれいな線を出す。
 そして砥石で表を磨く。神業のように手早く磨く。砥石で磨く時は、行って戻ってと磨いてもいいそうだ。ただし、戻りの時に角度が変わらないように注意する事が大切なのだそうだ。
「さあ、切ってみなはれ」と木切れを渡され切ってみる。これが切れる! 岡恒の説明書では裏側も研いで角度を付けないと、太枝を切った時噛んでしまうので、角度を付けるように書いてあるが、それではダメらしい。
「3ヶ月に一遍来ますから、また腕を上げたらおいでえな」と言われ、再会を期して名人研ぎ師と別れる。腕を上げたら、あの1万円の剪定バサミと木バサミを買うぞ!
 鋼の良し悪しなんかの解説も受けたが、名人研ぎ師が持って来た素晴らしい剪定バサミと木バサミが似合う植木屋になんとしてもなりたいものだ。ちなみに2回目の研ぎ代は、実演・解説付きだったが、なんとタダ!さすが職人肌!
 その後は、ボックスレンチやヤスリやドライバーやゴム手をホームセンターで買い求め、家に帰って剪定ノコの目立てを自分でやった。果たしてどのくらい切れるようになったのやら。
 今度はノコの目立てを誰かに教わろう。いいノコも1つ買おう。
 ああーー、それにつけても腕を上げたい。
 あの名人研ぎ師の神業のような手を、自分も植木屋として身につけたい。
 チクショー!頑張るぞ!!
 今日の仕事は辛かった。あとは日本酒と牡蠣をあおるだけー。
 朝からオオムラサキツツジ240本掘り取り。オート親爺と2人で、冬だというのに大汗を掻きながら抜く。エンピで根鉢を整えて、現場へ運ぶ。用意されたタウンエースでは乗りきらず、私が3回現場と仮植えしていた所を往復した。
 それから、大通りの昨日ハナミズキを植えた植樹帯にオオムラサキを植えていく。ひたすら穴を掘り、植える、植える、植える。大汗で、お茶の時間に500mlのスポーツドリンクを飲んでしまった。冬だぜ冬。オート親爺はさらにでかいドリンクを飲んでいた。肉体労働者は辛いなあ。
 専務の話では、うちの会社で1日300本、こなす会社なら500本の低木植栽が相場だそうだ。条件にも拠るが、そんなにできないよ。
 もっとも、今日のオオムラは新しく購入したものではなく、以前に抜いて預かっていたもので、枝が暴れてどうしようもない。時間がかかっても、専務も文句言わない。とりあえず今日中に終らせてくれれば御の字ということらしい。
 結局仕事は16:20終了。オート親爺とコーヒー飲んで、時間潰して、会社に16:45に帰る。解散は17:15.肉体労働者は夕方帰れる所が素晴らしい。
 肉体労働者・・・もう少し金くんないかな。

強制重労働

2002年11月20日
 会社近くの大通りの植栽。ハナミズキ10本。植樹帯に10リュウベほどの黒土の客土も入れた。今回の植栽は、今年の初夏に抜いて、会社で預かっていた木だ。ハナミズキの他に、低木のオオムラサキもあるが、これは明日。
 メンバーはフル+監督E氏+ちょっぴり専務(水遣り)。専務や監督E氏がいるので、蛇蝎も威張れない。心ない皮肉を1回言われたが、知能指数の低い奴の言うことを真に受けないよう心がけている。
 仕事は順調に進む。幹巻きテープを巻き、枯れてしまった2本の変わりに、新たに買ってきた木は剪定。移動式クレーン車に積み、次々と運ぶ。私は途中から客土を入れる係。近くの資材屋から黒土を2tダンプで買い、角スコでジャンジャン植樹帯に放り込む。まるで強制重労働だ。
 立て込み、鳥居支柱設置、客土入れ、水極め、整地をして、1マスが終了。車の通りが激しいが、1人のガードマンが、物凄いスピードで通っていく車を捌く。ガードマンもなかなかの腕前だ。
 仕事途中でトイレのある近くの団地の公園に小用をたしに行ったら、その公園にも植木屋が入っていた。彼らは何をしていたのだろう?巻尺やヒモを沢山使い、枡状に地面を区分けしていた。若い職人は半纏を着ている。なんかいいなあ。あんな植木屋で働きたいなあ。と思いつつ、隣の芝生は良く見えるものだと沈思黙考。
 さて、これからの私はどうしたらいいんだろう。昨日までは、即転職と思っていたが、施行管理士を取って、待遇がどう変わるかを見てからの方がいいのでは?というのが、妻と私の冷静な判断だ。
 どう変わるんだろうか?その前に勉強をもっとしなきゃ。私は誰?何をやってるんだろう?
 混乱はまだ収束していない。
 みなさん、アドバイスください。

悩み

2002年11月19日
 現場は昨日の続き。産業道路の抜根だ。ガードマン3人も雇っているけど、トレーラーとかバンバン走っているので怖い。残り3本のトチノキを抜いて、若干のサツキを片付けて、仕事は2時半に終った。メンバーが若いと、キビキビして、冗談も軽くて楽しい。監督E氏のユンボの腕がいいので、仕事も楽だ。こんな環境で仕事ができれば文句はない。
 故に私は悩んでいる。
 今日のメンツ、監督E氏、空手兄貴、私で仕事をすれば、空手兄貴も監督E氏の手前でかいツラはできないし、空気が淀んでいない。
 監督E氏は「他の植木屋じゃ、うちの10倍はきついですよ」と、私が辞めたがっているのを慰留してくれている。
 悩みは深くなるばかりだ。
 この会社に残って、2月の施行管理士合格を待ち、固定給制になるとして、月いくらもらえるのか?この会社で監督になれば、いい仕事ができるのはわかっているが、本当に監督として使ってもらえるのか?
 今狙っている会社はどんな環境で、どんな仕事の内容で、いくらもらえて、本当に求人票通り隔週週休2日なのか?今までの8ヶ月が水泡に帰してしまうのか?
 悩みは尽きない。
 金曜日に休みをもらったので、狙っている会社の総務の人が会ってくれるなら、会ってみようかと考えてはいる。
 誰かに早急に相談しよう。
 

機械は楽だ

2002年11月18日
 本日のメンバーは、監督E氏と空手兄貴と私。仕事は産業道路の伐採・抜根。トチノキとサザンカを数本。ここのトチノキは、伝説の親方が植えたものだそうだ。
 トチノキは粘っこい。木も粘っこいし、根もがっちり生えててなかなか抜けない。監督E氏が巧みにユンボを操って抜根するも、うまくいかない。
 我々平作業員は根っこを切る、穴を掘る、バールでこじる。人力作業を一生懸命やった。寒いのに汗ビッショリだ。
 それでも6本のトチノキを伐採し、4本の大きなサザンカを抜根し、3本のトチノキを完全抜根した。メンバーが若いので、全てにおいてアグレッシブだ。仕事も楽しい。蛇蝎の矢名頭がいないと、こうも爽やかなのだ。蛇蝎は死んで良し。
 さて、会社を移る件だが、昨日募集のかかっている某社を見てきて、いろいろ考えていたが、話しだけは聞いてみたい。やはり、今の会社だと、本格的な庭造り、庭園・公園作りの修行にならないからだ。
 今週、破傷風の注射を打ちに休みをもらう予定なので、先方の都合がつけば行って見よう。都合がつかなければ、もう1日休みをもらって行こう。
 とにかく、1日も早く植木屋マイスターになるのが、私の目的なんじゃないか。
 安行で得るものは多いが、今の状況に浸っていては、何もできない。
 立派な職人になって、立派な現場代理人になって、立派な親方になるために、全てを捧げなければ。

たそがれ清兵衛

2002年11月17日
 妻と映画「たそがれ清兵衛」を観に行く。
 出演者の田中 みんさんの主宰していた舞塾に若い頃参加していたので、是非観てみたかったのだ。
 田中 みんさんの演じる余吾 善右衛門が自分と重なり、清兵衛の人生も自分と似ていなくもなく、涙が出そうになった。
 私も空手の多少の使い手で、若い頃、田中 みんさんや他の芸術家の所に出入りして、放浪生活のような日々を送っていた。
 27歳で妻と結婚し、コンピュータ関係の会社で働いていたが、仕事上で幸せだと思ったことはなかった。
 やがて子供ができて、家庭は幸福だったが、仕事上の不安は消えた事がなく、満足感もなく、結局不況と人間関係により追われる様に会社を辞め、造園学校に入り、今の仕事をしている。
 植木屋は美を求められる仕事なので、若い頃の研鑚が役に立つかと思ったが、現実はただの労務者に過ぎず、若い頃やっていた土方やとびの手元の方が、まだ金になる始末。
 映画の中の清兵衛や余吾と全く同じ状況だ。余吾をやっていた田中みんさんは知っている人なので、余計それを強く感じてしまう。
 多分今のサラリーマンや労働者のほとんども、この映画を観たら、閉塞した今の状況の中の自分を清兵衛や余吾の中に見てしまうだろう。
 山田 洋次の作品にしてはシリアス過ぎて地味な映画だったが、田中 みんさんの映画初出演が成功していたんで、まずは良かった。永 六輔も絶賛していたゾ!
 それでもって、午後は空手の指導。館長の私の先生は何故か田中 みんさんに似ている。みんさんは世界の舞踊家。私の空手の先生も世界中に名前の通った空手家。年齢も背恰好も、醸し出す迫力も・・・。こういった達人や天才と呼ばれる人に不思議と縁があるのはありがたいが、食うためにやっている仕事で、そういった人と縁が無い。ここが私の仕事上の最大の不幸なのかもしれない。仕事上で心から尊敬できる人に縁がないのだ。
 夜は、妻に持ってきてもらった求人票を頼りに、1件の造園会社を見に行った。固定給で条件がいい。だが、今の会社を現時点で辞めて、はたしてプラスになるのかどうか悩んでいる。
 もうすぐ、幼馴染の友人達や、空手仲間や、造園学校の仲間と、じっくり話す機会があるので、みんなに相談してみよう。
 余吾 善右衛門のように、家族を抱えての放浪生活は、あまりにも惨めだ。
 妻と子供達には最低限でも、安心して生活できる場を与えなければ。
 私は自分の造園会社と庭園研究所をやるために、今の世界に足を踏み入れたのだ。心が揺らぐ事はあるが、絶対に諦めないぞ。サイドビジネスでコンピュータ関連の仕事をやる話も前職の友人から来ている。それで資本金を貯めなければ。
 私は必ず成功する!

適当

2002年11月16日
 もう日当9,000円じゃやってられないよ。学生のアルバイトじゃないんだから!
 というわけで、都立大マンションの追加工事。以前植えたコノテカシワ・ヒラドツツジ・ジンチョウゲ等を別の場所に移植し、黒土の客土を1立方メートル入れた。マンションはほぼ完成しているので、客土を入れるのも全部手作業で大変だ。
 今年1番の冷え込んだ日だったらしいが、暑かったという印象しかない。
 暑いんで、仕事もまったり適当。
 一人現場だったし。
 ところで、最近知り合いが(知り合いといっても芸術関係の師匠筋)映画に出て注目されている。世界的に有名な人だが、国内的には、少なくとも一般大衆には認知されていない。だが、今ではTV、ラジオで盛んに取り上げられ、絶賛されている。
 うらやましい。
 泥を整地しながら「俺は何をやっているんだ?」という気分にさせられる。日当9,000円で・・・。
 焦るな!
 とにかく私は40歳を超えて、植木屋マイスター=庭師または造園家を目指しているんじゃないか。
 焦っても腕や技術は上がらない。
 さあ、お勉強(研究)でもして、寝よう。

もうやだよ俺!

2002年11月14日
 朝イチで社長から日当を1割下げるといわれた。なんでも空手兄貴が私の事をチクッたらしい。昨日の件だ。それで私とは仕事したくないと愚痴ったらしく、社長も腹を決めたんだと。
 けっ!賃金を下げたい社長と、私を追い出したい空手兄貴の利害が一致した猿芝居・・・。
 バカだぜこりゃ。もともと労働条件も募集と違ってたし、交通費さえ全額支給しないし、賞与も募集要綱と違って出ないし、隔週2日制でもなかったし、嘘だらけの募集に応じた私がバカでした。
 1級施行管理士取ったら、さっさと鞍替えしなきゃ。このままじゃ、日当6,800円まで下げられちゃうぜ。バカにしやがって。訴えてやろうかな?裁判にでも。
 仕事は個人邸O氏邸で、刈り込み。マツの揉み上げもやる。個人邸はいいのう。
 今度は個人邸中心の、というより、本当の植木屋、庭師のところがいいなあ。
 それか造園家としてのノウハウを身に付けられる会社。
 どっちにしろ、今の会社はもう終り。
 辞め方と辞め時を考えて、次を見つけなきゃ。失敗だったな最初の1歩は。
 まあ、どうでもいいや。

伐採・抜根

2002年11月13日
 監督E氏と国道沿いの倒れかけたプラタナスの伐採・抜根、同じく国道沿いの事故で倒れた木の抜根に向かう。
 車は4tのクレーン車。私は運転したことがないので、E氏が運転手だ。道中いろいろと話す。年下だが、経験の深いE氏から、現場代理人になった場合のアドバイスや、自分の近況など話を聞き、私の休日の過ごし方などを話した。
 気が楽だ。心が軽い。
 仕事もE氏の卒のない進行で、午前中に終わってしまった。
 会社に帰り、伐採したプラタナスをチェーンソーで寸断して、ゴミ捨て場に捨てて昼だ。
 昼食後はやることがないので、E氏と二人で薬品類をしまう掘建て小屋を作る。
 楽しい。
 いつもこんな心持で仕事ができれば、この会社も天国なのになあ。
 若干2名のために、暗い私。
 でも、今日は楽しかった。
 チェーンソーの調整のため6:30に出社だったが、心楽しく仕事はやりたいもんだ。
 今日は快晴のお天気同様、いい日だった。
 霞ヶ関カンツリークラブ3日目。ドウダンツツジが真っ赤で美しい。造園学校の実習場のドウダンツツジが思い出される。卒業し、就職して早や7ヶ月、私は何の進歩もなく、相変わらず下働き中心に仕事をしている。
 今日のメンバーは、専務と空手兄貴と私。巨大なドウダンツツジの移植、イブキとモチも移植した。私の役目は、整地と水極め。中腰で作業をするため、腰が悲鳴を上げている。
 2時半にはそれらもきまりがつき、早めの一服をしてから、昨日の続きのサザンカ、キンモクセイの生垣整地だ。腰は痛いし、下働きの精神的苦痛でトロトロ仕事をしていた。四肢にも力が入らない。
 5時前に空手兄貴が道具を片付け初めて、私にボソッと何かを言って、どこかへ消えてしまったので、上がりかと思って、残りの片付けをしてタバコを吸っていたら、兄貴はまだ番線を切り揃える作業を遠くでしていた。「やっべー」と思ったが、今更作業を再開する時間でもなく、「空手兄貴さーん」と呼んだら、兄貴激怒。曰く「まだ5時前じゃん!さっきからぼけっと突っ立ってたのかよ?だめだなー・・・」。
 昨日は5時前に矢名頭が片付けを促し、空手兄貴と2人で後片付けをしていたのに、私は自分の作業に没頭していたら白い目で見られた。今日はその逆で、早めに片付け始めたら、文句を言われてしまう。 この会社での人間関係にはうんざりだ。と言っても、若干2名だが・・・。2名だが、直接一緒に仕事をする先輩なので一番厄介だ。
 結局、専務に電話をされて霞ヶ関カンツリークラブの仕事はお払い箱になってしまった。悪い事は逐一社長や専務に報告されるので、私も大ピンチだ。
 もう辞めようかな?こんな会社。人間関係がさっぱりしていると思って、この世界に入ったはずなのに、サラリーマンより始末が悪いぜ。子供の弱いもの虐めそのものだ。
 あーーあーー、こんな世界に足を踏み入れるべきじゃなかったなと、つくづく思う1日でした。

頭痛

2002年11月11日
 相変わらず矢名頭が来ると、現場が重々しい。私に集中攻撃してくるので、頭が痛くなる。早く出世して、見返してやりたいものだ。
 今日の現場は霞ヶ関カンツリークラブ。サザンカ、キンモクセイの植栽の続きと、シラカシの追加植栽、巨大なドウダンツツジなどを移植した。それから倶楽部ハウス周りの花壇の花の植替え。
 F園の親方も来ていたので、会社の各メンバーはバラバラで仕事をした。
 最初は空手兄貴と花壇工。ポーチュラカ・ミックスを18ケース植える。千鳥に並べて植えていくわけだが、1ヶ所見せる方向が90度間違っていると怒られた。
 その次はシラカシの水極め。作法通り2回、泥を良く溶かしこんで水をたっぷり根鉢周りに入れる。
 それからシラカシと昨日のサザンカ・キンモクセイ周りの整地だ。何もできないので、相変わらず下働きが多い。何もできないと言っても、何もやらせないのだから、できようがない。でも最初の1年間は仕方がないか・・・。
 明日も現場は同じ。夜帰ってくるのが遅いのが辛い。肉体労働者のいいところは、夜は早く帰って来れる所なのに。
 まあ、めげずに頑張ろう。そのうちいい展開に変わるだろうから。

練習試合

2002年11月10日
 今日は野球の練習試合。相手は同じリーグの1部に所属するチーム。練習試合なのでプレッシャーも無く、気が楽だ。私は6番ファーストでフル出場。
 試合内容は、お互いエースを立てるでもなく、激しい打ち合いとなり、最終回にうちの4番のO田ちゃんが5打席目にして初ヒットとなるホームランを打って、8-7で勝った。私は1安打、1エラーとゲッツー崩れで3回塁に出たが、特に得点には絡まなかった。
 チームメートそれぞれの家族は、ネット裏に陣取ってピクニックだ。でも、もう寒いね。
 試合が終ってからも、みんなで4時半ごろまで遊んでいた。競馬のエリザベス女王杯をやったり、サッカーやバドミントンをやったり、子供たちも元気に走りまわっていた。
 すごく小さな幸福感。でも、なんだか夢のようだ。普段の仕事では、みんなそれぞれ暗い時代を反映して、漠然とした不安の中に生きているのだが、良い友人や家族があるというのは、何よりの光明だ。
 そしてそれぞれが、明日から仕事。
「ああーー、明日からまた仕事かよー」
と言っている友人もいる。
 そう、明日から仕事だ。頑張るぞ!

木枯らし

2002年11月9日
 本格的な北風、木枯らしが吹き始めた。
 今日は霞ヶ関カンツリークラブで移植。
 サザンカとキンモクセイを目隠し状に列植する。
 メンバーはフル。私と矢名頭とオート親爺と空手兄貴だ。フルといってもたったの4人・・・。
 50本以上の植え込みは、昨日の内に、私を除いた3人で殆ど終らせてしまっていたが、北風が物凄く、木が倒れたり傾いたりして散々だ。
 午前中はわずかに残った植え込みをして、整地。土方をやっていたことがあるので穴を掘るは元々うまい。
 午後になり、矢名頭が病院へ行くといって帰ってしまったので、残りの3人で残作業。1本支柱に杉テープとシュロ縄で樹木を括りつける。外側3回割り2回、十文字掛けではなく片掛けで結ぶ。支柱の竹には、シュロ縄のあたる部分に必ず割りをノコで入れる。そうでないと効かない。3本くらい割りも入れずに括りつけたが、全然効いていず、空手兄貴に怒られてしまった。
 だが、植木屋らしい仕事で楽しんでやっていたが、心の中では「こんなに風の強い場所で1本支柱なんかじゃ、すぐ倒れちまうよ。親柱をがっちり入れて布掛け支柱にしなけりゃ」とバカにしていた。空手兄貴も「やらずを入れなきゃ倒れるな。」と言っている。もう少し丁寧な仕事をすればいいのに、うちの仕事はいつも効率最優先だ。それで手戻りが出て、余計な仕事が増える・・・というのがいつものパターン・・・はあっ。
 仕事は5時きっかりに上がり、帰社。関越と外環がレジャー帰りの車で混んでいて、川越から安行まで1時間半かかってしまった。
 片付けをして、7時に帰路に着く。
 家では母親から送られてきた樽酒と本物の自然薯が待っている。
 冬空の三日月が青く冷たそうに揺らめいていた。
 早く温かい家庭に帰ろうっと!

吉祥寺2日目

2002年11月8日
 昨日の残り作業。ヘデラの棚周りの整備とサツキ48本、ヒラドツツジ48本の植栽。午前中に終えるはずが、3:30までかかってしまった。
 昼休み中、現場の隣の植木屋の親方から「一人じゃ大変だね」と声をかけられる。「どっから来たの?」「安行です」「俺も若い頃、親爺に連れられてよく植木を買いにいったよ」という会話が交わされる。町場の個人邸中心の仕事をする親方だ。私もお金の問題がクリアできれば、こんな感じの親方の元で働きたいなと思う。「うん、きれいになった」と言ってくれた親方の一言が妙に嬉しかった。
 その後、仕事途中に専務から電話で、会社に戻って花のポット物を買ってくるように命じられた。間に合うかどうか微妙だったが、車を飛ばしなんとかセーフ。花の生産屋は5時までしかやってないのだ。
 会社に再度戻り、500リットルのタンク2つに水を満たし、噴霧器とホースを乗せる。更に今日の道具と残材の後片付けと、写真の整理と書類の記入で終ったのは7時近く。
 朝方は楽勝仕事と思い、のんびりやっていたが、えらい目に会ってしまった。
 でも、今日は植木屋っぽい仕事だったかな。
 明日からは、移植作業や消毒が入る。
 また、ちゃんとした植木屋だ。
 頑張ろう。
 仕事を覚えられるような日は、大変だが、少しホッとする。
 植木屋マイスターの道は遠いねえ・・・。

吉祥寺

2002年11月7日
 吉祥寺のJRが始める「鶴亀ランド」というスーパーマーケットの植栽工事だ。朝4時起き、5時に家を出て、6時に会社を出た。帰りは9時過ぎ。
 仕事の内容は、ヘデラの網状の棚を作り、目隠しのような植栽をし、ツツジ類を植える予定、だったが、ツツジ類の入荷が遅れ、ヘデラだけの作業。
 マンション工事といい、このての作業をしていると「なんで?」という気分になる。ガラだらけの植樹帯をスコップで掘っていると、とても惨めな気分になるのだ。
 オレは庭師を目指しているんだゾ!と心の中で叫んでも、結局は下級肉体労働者。芸術とは遠く無縁な世界。オ・レ・ハ・イ・ッタ・イ・ナ・ニ・ヲ・シ・テ。イ・ル・ン・ダ・?
 無用な日々が過ぎていく。なんの希望もなく。なんの足しにもならず。なんの意味もない毎日。いったい何の為に転職したのやら・・・。
 およそ知的な労力は必要とせず、ただひたすら穴を掘ったり、ヘデラを植えたりするだけ。
 つまらない。
 こんなはずじゃなかったのに。
 まるで意欲も湧かず、力も出ない。
 早くこんなくだらない日々から脱却しなければ。
 人生は短く儚いのだ。

早出

2002年11月5日
 朝5時40分に会社へ行く。6時11分に出発。目的地は東急東横線都立大学。何故か高速も使わず、2時間を越える長旅だ。
 現場は都内特有の羊羹みたいに細長いマンション。その周りのこれまた細長い植樹帯に、ジンチョウゲやヒラドツツジやコノテガシワを植える。2リュウベの黒土もピストン輸送の人海戦術、といってもメンバーは、私と空手兄貴の二人・・・。ちかれたー。
 仕事も左官屋、タイル屋、外溝屋と錯綜し、滅茶苦茶。たいした本数でもない木々を植栽し終えるのに、16:30までかかった。
 うちに戻ったのは8時近く。都内のマンション小工事はいつもこうだ。
 でもいいや。今日もまた、植木屋らしい仕事ができた。
 明日は会社の大いなる実験場で剪定の予定。
 植木屋らしい仕事。そして腕を上げる。これがなによりだ。
 でも石とか築山とか流れとか滝とかも、やりたいよなあ。
 枯山水も・・・・・・・・・・。

まったり

2002年11月4日
 秋の休日、天気もいいが、どこへ出かけるでもなく、家でまったりと過ごす。
 午前中床屋ヘ行き、頼んでいた本とフィルムを買って、午後からはビールを飲んだ。ビールじゃちょっと寒かったので、日本酒の燗酒にして、サッカー観戦だ。
 浦和レッズVS鹿島アントラーズ。ヤマザキナビスコ杯の決勝戦。レッズ初タイトルを期待したが、果たせず。やけになって、そのまま7時まで寝ていた。
 午前中に買ってきた本は「樹木の診断と手当て」。これも少し読んだかな。
 それと施行管理士の勉強を1時間ばかり。
 他には別にやる事なし。 まったりとした1日だった。
 こんな日も必要でしょう?疲れちゃうもん。

空手大会

2002年11月3日
 本日は私と子供達の通っている道場の空手大会だ。県内各地、千葉、その他諸々から138名の選手が集い、学年男女別、一般有段者、有級者、壮年部に分けて優勝を争う。私は大会役員なので、大会の運営を手伝いながら、エントリーした息子二人の応援をした。妻もビデオカメラを持って参戦だ。
 私の子供達は、空手歴わずか1年、出場選手の中でも、一番下の級なのだが、二人ともあれよあれよと勝ち進み、次男は4位入賞で敢闘賞、長男はなんと優勝してしまった。最高師範である私の先生もビックリ。世界最大の実戦空手流派の元全日本チャンピオンで、伝説的な有名空手家である我々の先生と、メダルや賞状を手に記念撮影をしてもらう子供達。いやまあ凄い、嬉しい、快挙である。夜な夜な組手の相手をして、攻防の手ほどきをしたかいがあった。正直言って「まだまだ」だけど。
 妻は妻で、私の先生とスケジュールの打ち合わせをしている。新聞社の支社長でもある先生と妻は、もの書きとして親交があり、来年から始まる「子育てに関する企画」に、妻も執筆する予定なのだ。
 まずは家族揃って笑顔万面。帰りに中華料理屋でお祝いだ。妻方の爺さん婆さんも、私の親爺も孫の快挙の電話を受けて、大喜びしていた。
 そして、子供達が寝静まった真夜中に、何度も試合のビデオを見て、悦に入っていた私がいた。

< 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 >