ドカチン

2003年1月21日
 北風が強い。寒い。刺すように冷たい空気だ。
 今日は街路樹の植え穴掘りのドカチン。しかし、監督Eさんのユンボ使いが巧みなため、私とオート親爺は楽チンだ。四角い植え穴を4つ半、予定通りに掘って行く。
 体もそうだが、気持ちもなんか楽。面子が違うとこんなにも雰囲気も違う。
 ハブがいないので、ハブにされる事もなく、疲れはない。いつもこうならどんなんに楽しかろう。
 ドカチン仕事をしていると、20歳の頃を思い出す。20歳の頃、ドカチン仕事で食っていた時があって、あの匂い、あの雰囲気、あのリズム。
 帰りに無性に焼き鳥屋に行きたくなった。おいしいもつ焼きとレバ刺しで、ホッピーを飲みたい。20歳の頃はいつもそうだった。
 でも、今日はまっすぐ家に帰って、家族と静かに過ごそう。
 私はとても温厚で保守的になってきた。
 20歳の頃、焼き鳥屋でオダを上げていた時とは、正反対の男になってしまったのか?

静かな休日

2003年1月19日
 朝7:30起床。「ガーデニング」や「趣味の園芸」を見たが、あまり面白くないので、気が入らなかった。子供たちはアニメを見ていたが、先日買ったPS2に遊びを変更。一緒にPS2で遊ぶ。
 午後はカラ手の稽古。少年部2コマを指導して、家に帰る。一緒に蹴りの稽古やサンドバックをやったので少し疲れた。
 家に帰りビールを飲み、本を読みながら、静かに時を過ごす。
 NHKの「武蔵」を見たかったが、子供たちの「動物奇想天外」とバッティングしてしまうので、BSで10:00から見ることにしたが、布団の上で本を読んでいたら、いつのまにか眠ってしまった。
 何もない休日。
 でも幸せな気分だ。

土曜日

2003年1月18日
 土曜日は仕事は楽な方がいい。
 今日は楽だった。
 監督Eさんと2人で、サザンカを1本植え、鳥居支柱を設置。その後、スキップシティにて若干の土入れと低木植栽。その後は西友にて休息し、丸太や小熊手や箒を買って、そのまま帰社。
 16:00、やることがないので、小次郎やビリーやキッド(岡恒の210mm木バサミ)を研いで、会社の道具を整理して、お仕事終了。
 17:15、月曜日の脚立を車に積んでロープを掛けて、先輩達が帰ってくるのを尻目に帰宅。
 今日は長男のI学園中等部入学試験の日だ。昼休みに試験の様子を妻から携帯で報告は受けていたが、あらためて長男からいろいろ聞く。まあ、受かっても、受からなくてもいいだろう。自分の人生は自分で切り開いてくれるはず。親はそれをほんの少しだけ助けてあげることしかできない。それもそれでいいだろう。
 親も子も、お互いに、お互いの人生を楽しんで、楽しんで、力一杯生きればいいと思う。
 人生を楽しんで、庭を愛でて、芸術を愛して、日本の伝統美に浸って、石や植木に埋もれて、まさに人生遊戯三昧!
 と生きたいところですね。

今日は久々に

2003年1月17日
 仕事が楽しかったぞ。
 若い監督2人が作業の手伝い兼監督で来てくれたので、イニシアチブは兄貴たちには無く、私も平等に扱われた。おかげで浄水場のマテバシイの剪定やモチの刈込みをやった。小次郎もビリー(岡恒の剪定バサミ)も本望だろう。
 掃除も全員で用意ドンでスタート。全員でやれば早いし、私の体も昨日に比べてずっと楽だ。やはり早く1人前にならなければ植木屋はだめだ。どんな仕事でもそうだが・・・。
 しかし、頭や兄貴の剪定や刈込みは、やはりうまい、早い。これからも不当な差別待遇を受けながらも、頭を垂れて修行しよう。
 でも、管理仕事だけじゃな!
 やはり、石組や竹垣や芸術的植栽や、そんなこんなや、枯山水や流れや滝組なんかも学びたい。
 人生は短い。公共の植木屋の仕事は大体分かったから(できるとは言わないが)、次のレベルへ行きたい。
 やっぱり、本物の庭師になりたい私です。

踏んだり蹴ったり

2003年1月16日
 越谷の街路樹剪定。
 私は最初の1本だけ剪定させてもらい、後は掃除。
これじゃいつまでたってもうまくならないよ!陰謀か?序列からいって仕方ないんだけど。とにかく掃除ばかりで胃が痛くて、憂鬱でしようがない。仕事に行くのも、もううんざりだ。
 おまけに、今日は長男の誕生日だというのに、車のスモールをつけっぱなしにしてしまい、バッテリーが上がってしまった。JAFを呼んでも30分以上かかるし、寒空の下、一人で切なくJAFを待つ。
 車が動いたら、ガソリンスタンドなどに寄り、結局家に着いたのは9:00。パーティーのため招待した親父も帰ってしまっていた。今後の生活と仕事について話をしたかったが残念。まさに踏んだり蹴ったり。
 お掃除地獄からは、いつ抜け出せるんだろう。1年とか、区切りがあればいいが、この会社でいる限り矢名の頭が引退するか、私が監督コースに鞍替えするかしかない。
 うーーん、どうしよう。
 相談しよう、そうしよう。私には各方面に強い味方がいるではないか。
 1/29は造園学校の定例会だ。

焦燥

2003年1月15日
 小さなテニス場の植木を剪定・刈込みし、昨日の現場に戻り掃除。掃除がいい加減だと兄貴に怒られる。親方3人小僧1人の構成なので、下働きは全部私。胃が痛くなってくる。掃除なんて生まれてこの方まともにやった事なんかない。大嫌いなんだ!いったいいつまでこの調子が続くのか?
 焦燥は募るばかりだ。
 日当9千円、賞与0、日曜祝日のみ休み。夜は疲れて寝るだけだ。本当は日当1万円、賞与年2回2ヶ月分、隔週週休2日の募集をみて入ったんだけど。これじゃ生活設計もなにもあったもんじゃない。酷い職場に当たっちまったもんだ。
 これでは子供達に立派な教育さえ与えられない。いっそのこと植木屋を辞めて、もっとまともな職に就こうか?緑を増やすNPOでも立ち上げて、もっとやりがいのある仕事を自分で創出しようか?このまま一挙に独立しようか?などと、いろいろな夢想が頭の中を経巡っている。
 就職して10ヶ月。最初の就職は失敗だったと思う。最初の1歩でけつまずくと取り返すのはきつい。これから、2月18日の施行管理士の発表、3月で就職して1年。それまでの2ヶ月で冷静に反省、判断、行動し、軌道修正をかけなければ。
 植木屋マイスターへの道の軌道修正だ。
 あるいは「植木屋マイスターの修行時代」の挫折が待っているかも・・・。

マイペース

2003年1月10日
 監督Eさんと二人でスキップシティ。街灯の立つ場所に黒土を入れ、低木を植える。
 仕事量は少なく、楽と言えば楽。マイペースで仕事をこなす。他の職人がいないと精神的に楽だ。他の職人がなぜ私にあれほど敵意を剥き出しにするのかも分かる気がする。
 要するに、自分自信が不安なのだ。自信がないのだろう。うまくて早いのにな・・・わりと。
 ところで、練りに練った今の私の方針は二つ。一つは今の会社、あるいは今の会社と同等以上の規模の会社で、まずは現場代理人として働く。金になる植木屋をやりながら、晩年は庭師的植木屋になる。
 もう一つは、女房子供たちに迷惑千万ながら、今の会社をきっぱりと辞め、真性の庭師の所で働いて、一流の職人になり、親方を目指す。
 どちらがいいか、未だに結論が出ない。
 要は庭師になるか、造園家になるかだ。
 先日、アンドレ・ル・ノートルの業績をTVでやっていたが、ルイ14世の信任を得て、ベルサイユ宮殿の広大な庭園を作ったノートルは「庭師の王」だそうだ。
 「庭師の王」「造園家」「庭の芸術家」。ああ、庭が作りたい。 夢窓国師、相阿見、善阿見、植治、重森三怜、植藤・・・。やはり、初志のとおり、日本庭園の奥義を学んで、日本庭園の極致を目指そう。
 そのためには、どうしたらいいか。ただ、それだけを考えて、今後は行動しよう。
 迷いは晴れる。

ゴミ人生

2003年1月8日
 今日はゴミ片付けの日だ。
 朝、満杯のゴミ車をゴミ焼却場に持っていって、ゴミ捨て。それから、一昨日と昨日のゴミを一人でゴミ車に1t以上も積んで、ゴミ焼却場に再度持っていく。
 それから、大きな現場より呼び出され、そこでゴミ集めをして、ゴミ車を会社に持ってかえる。
 その後、金属系のゴミをトラックに積んで、金属のゴミを引き取ってくれる業者に持っていき、ゴミ捨て。
 社内にそびえ立つ超巨大なヒマラヤシーダを剪定して、ゴミ車にゴミ(枝葉)を積みこんで、ゴミ捨て。
 私の人生は、この1年、ゴミ捨てに始まり、ゴミ捨てに終る。
 ゴミ・・・人生の1年がゴミ捨てで終わるなど、考えた事もなかった。
 私の人生の大切な1年間もゴミ。
 ゴミは辛い。
 私はゴミ同然の扱いを受け、ゴミ同然の人生を歩んでいる。
 もう、ゴミなんだから、文句は言うまい、と思いながら、涙が止まらない。
 どうして、こんな事になってしまったのだろうか?
ソレハオマエガゴミダカラダ

ひえーっ!休みが

2003年1月5日
終っちまった!!
 明日から、また地獄の仕事だァ。
 逃げようかな?
 女房子供を食わせながら、植木屋マイスターを目指すのも辛いものがあるし・・・。
 明日から仕事かア・・・。
 女房子供はまだ田舎から帰ってこない。力が出ないなあ。
 やっぱし、独り者じゃ続かないよなあ。きついし・・・。
 今年こそ、いい仕事ができるように成りたい。いろいろと正月の間、悩んだけど、いい結論は出なかった。
 とりあえず、2月18日の施行管理士の発表を待って、新たな1歩を踏み出そう。
 私の正月は2月18日だ!

やはり

2003年1月4日
 暇だ。
 何もする事がない。
 朝から酒を飲んで、TVを見ている。「秀吉」とか見たが、燃えない。
 明日の友人宅訪問もキャンセルになってしまったので、明日もやることがない。
 お金もないし、健康センターでもいって、風呂でも入ろうか?激ウマラーメンでも食いに行こうか?暇だ。
 なにもやることがない。
 そういえば、ろくな物も食べてないぞ!2日に寿司食ったか・・・。
 明日はなんか面白い事でもしよう。
 正月休み最後の日だしさ。

暇だ

2003年1月3日
 暇だ。
 こんなだったら、下働きでも、罵倒されても、仕事してたほうがマシだ。と思いつつ、年始から素晴らしき出会いあり。
 今日は本を読んだ。年末から5冊は読破した。暇だから・・・。今日読んだ本は梅原猛の空海の本。空海密教とは「生きる力の根源を掘り起こすもの」だそうだ。生命力の昇華!
 空海。いいっ!!
 死にかけてた自分が笑っている。大日如来と一緒に笑い始めた気分だ。別にマリファナとかやったわけじゃないけど。
 この世は全て可々大笑。
 空海にまた救われた。
 10代のころ、松岡正剛の「空海の夢」を読んで、感動を覚えたけど、それ以来の可々大笑。空海は素晴らしい。
 今年は全ての夢が叶い、人生本当の軌道に乗れるような気がしてきた。
 頑張ろう。
 楽しみながら・・・。

2003年

2003年1月2日
 正月2日目だ。
 女房子供達は、女房の故郷の山口県岩国市へ行ってしまった。
 一人は寂しい・・・。
 夜、S君が遊びに来て飲んだ。でも、私は酒が弱く、すぐ寝てしまう体になってしまっていた。これも植木屋の習性か?
 私にふとんをかけてくれ、S君はいつのまにか去っていった。
 さて、これから1月5日まで何をしようか?
 世に出る準備でもしよう。
 今年のテーマは「飛翔」だから。
 ぶっとばなきゃな。
 フフフのフ。
 みなさん、今年はどうですか?今年こそ夢と希望の実現に向け頑張りましょう。閉塞した社会などなんのその。
 と言ったところで、今日も変わりなき元旦。
 朝9:00起床。9:30頃初詣のため、大宮氷川神社へ徒歩で向かう。古いお札と破魔矢を持って、愛用のカメラに50mmレンズをつけて、お出かけだ。
 家族総出の4人連れ。いつもと同じ元旦の出だし。違うところは、年々子供達が大きくなっているということだ。
 まずは去年のお札を納めて、去年1年の無病息災のお礼。
 次に氷川神社の前の祠で、近所のおっさんがやってるお払いを受ける。ここはお払いの料金はいくらでもいいし、氷川神社のように長時間待つ必要がないので、いつもお払いはここでしてもらっている。とりあえず金1千円也。
 続いて氷川神社本社で、今年の「飛翔」を祈念。
 今年のテーマは「飛翔」だ。
 去年1年は「下働き」だったからねえ。
 家に帰って、子供達にお年玉。「今年も言う事聞けよ」と言うと「はい」と二人の息子は答えた。お年玉の霊験で、その場は”いい子達”に変身している。
 おせちを持ってオヤジの家に。ビールとおせちで乾杯!
 またまた、ガキどもがオヤジよりお年玉。うらやましい。私にも小遣いください・・・。
 少し眠って、TVを見て、家に帰る。
 いつもと変わらぬ正月だ。変わりなきハレの日。
 でも、今年も人とはちょっと違う人生を送るぞ。 「飛翔」するため、植木屋マイスターの道を行きながらも、自分の持てるもの全てを吐き出そう。
 私ももう41歳になってしまう。
 人生半分を過ぎた・・・。

大晦日

2002年12月31日
 除夜の鐘が鳴る。
 今年も終りだ。
 生涯で一番大変だった年。
 今日は大掃除をやり、「もちもちの木」という白岡の評判のラーメン屋にラーメンを食べに行き、軽くビールと濁り酒を飲んで、猪木祭りを見た。ずうーっと家族と一緒で、自分は幸福だとほのぼのと思う。風呂に入り、去年の垢を落とし、1年が暮れて行った。
 来年はどういう年になるだろう。
 いい年にしよう。
 仕事も納得のいく、楽しい仕事ができるよう努力しよう。金も稼ごう。レジャーにも行こう。体が元気で精神的にまだまだいけてるうちに、やりたいことは全部やろう。次男坊を空手で優勝させよう。野球の公式戦ででホームランを打とう。うまいラーメンを食おう(もちもちの木はうまかったな)、外国に行こう。本をもっと読もう。友人ともっと頻繁に接しよう、いい酒飲もう。
 来年はいい年にしよう。

友と語らう

2002年12月30日
 久々に前職の友に会い、呑み且つ語らった。総勢7名だが、10年近い付き合いで苦楽を共にしてきた仲間なので、くつろぎながらも懐かしく、いろいろエネルギーやヒントをもらった。
 7名中、旧会社の合併した新会社に残っているのは2名、5名は辞めてそれぞれ主にユーザーで働いている。それだけユーザーに力を認められていたということだ。1人はスロットで食っている。出世頭はスロットのプロをやっている男で、彼は月収50万円くらいだそうだ。博才のある奴には頭が下がる。きっと将来何かのビジネスでも立ち上げた時も、その勘所の良さと、地道な努力(本人曰く)で成功できるだろう。
 1番情けない立場なのは私。7名の中で最低年収、最低な仕事内容、最低な気分で生きている感じだ。
「タラークさんなら、営業とかやれば、すごい給料貰えるんじゃないっすか?」と言ってくれる元後輩達。
 しかし、私は植木屋マイスターを目指し会社を辞めたので、今更この仕事を捨てるわけにはいかない。
 忍従の数年を経て、飛翔するまで、繭のようにじっと縮こまっていなければ。
 次なるステップへの大きなジャンプをする時は、できるだけ低く屈んで、バネを効かして飛び上がらなければ。

本当の仕事納め

2002年12月29日
 他の人がやり残した個人邸のマツの剪定に赴く。これで今年も完全に仕事納めだ。
 社長の同行が気にかかっていたが、案の定マツだけではなくなり、結局、他の主だった木も全部剪定した。仕事中もずっと社長のお小言付きで、空手兄貴が「タフだねえ。俺だったら辞めちゃうよ」と笑っている。笑い事では無い。植木屋のオヤジなんてこんなもんかと思っていたら、そうでもないらしい。ターゲットにされているのは、私とオート親爺の二人だけ。リストラ対象要員なのかもしれない。
 会社も大きな工事もなく、あまり芳しくないのだろう。「会社を潰すくらいなら、従業員の給料もバンバン下げるよぉ」とか社長もブツブツ言っていた。この平成大不況で社長業も大変だ。
 さて、今年はどんな年だっただろう?3月に学校を卒業するまでは、まさに学園天国。卒業後、今の会社で植木職人として働き出してからは、完全に地獄落ちって感じかな。とにかく肉体を酷使して、馬車馬のように働いたが、社長からも、社内でも評価は低く、むごいイジメにあったり、気分が落ち込んで散々だった。技術も何も体得してないぞ!元々人間関係や仕事もその日終れば「サッパリ!」気分になれると思って入った業界なのに、前の会社と変わらん。これじゃ転職の意味がない。味方というか、良くしてくれる人も沢山いるが・・・。
 来年はどうしようか?
 もっと知的に働いて、金を稼がなきゃ。
 植木屋は辞めないが、そう知的にやらないと。体を売って稼いでもいくらにもならない。
 「植木屋マイスターの放浪時代」が始まるかもしれない。
 「植木屋も頭で稼がなきゃ、いくらにもならないよ」と営業Aさんにも言われたしな。
 年明けに職安にでも行こう。

仕事納め

2002年12月28日
 昨日、大吟醸生酒をしこたま飲んだので二日酔いだ。下痢と吐き気。
 仕事は朝から街路樹剪定。トウカエデだ。ノコでギコギコやってしまったので、あっという間に終った。
 11時に会社に戻り、仕事納め恒例の車洗い。昼は弁当に手をつけず、振るまいの餅とカップラーメンでお腹一杯。眠い・・。
 その後、ビニールハウスの補修などをして、最後にビールで乾杯!!やっと今年の苦しい苦しい1年が終る。
 しかし!実は明日も仕事があるのだ!しかも社長付き!!
 ゲゲッチョ!
 振り帰れば長い長い1年だ。金無し、暇無し、ゆとり無し。無い無い尽くしの1年だった。学校を卒業する頃は希望に燃えていたけど、今じゃ早くも燃えカスか?
 いいえ、なんとか立て直します。
 だって私、植木屋マイスターになるんですもの(ハート)。
 
 仕事をしていると、何故か演歌が頭の中に浮かんできて、つい口ずさんでしまう。
 哀愁が漂っているのか?
 この年になって、植木屋の小僧になって、日当制肉体労働者に落ちてしまった哀愁・・・。
 将来への不安、現在のあまりに低い収入への恐怖、きしむ肉体、泣き叫ぶ精神。
 私にはなんの技術も自信もない。
 そんなこんなの焦燥感が、演歌を口ずさませる。やはり演歌は悲しい者のための歌なのだ。
 今日は黒土を入れ、若干の高木・低木を植え、比較的楽な仕事だった。しかし、寒い。北風も強い。
 演歌の似合う男。
 こんな風にはなりたくなかったな。
 もっとノリノリで生きているはずだったのに。
 さて、これからどうしよう?
 植木屋は楽しいが、何かが違う気がする。それが何かはわからない。人間関係や、くだらないことで悩んでいるし、自分の今があまりにも取るに足らない立場なので、そんな自分に焦りを覚えている。
 どこへいくやら、植木屋マイスターの修行時代。

樹上生活

2002年12月25日
 足がガクガクする。
 私は1日中トウカエデの上で生活している。だが、楽しい。面子がいいせいか、精神状態が良好だ。3時休み返上の仕事もなんのその、1本でも多く剪定しようと、心が燃えていた。
 やはり植木屋はこうじゃなきゃ。金じゃない。心を萎えさせる人がいると、吐き気がする。
 植木屋は心意気。
 そして美。
 植木屋は本来楽しいものだと、久々に思った。そんな1日でした。

トウカエデ

2002年12月24日
 手が痛い。トウカエデの街路樹剪定だ。トウカエデは堅い。ノルマ20本。無理だ。
 先日、矢名頭と空手兄貴の2人で17本だ。私とオート親爺はさらに遅い。掃除兼警備員兼お目付け役で、営業Aさんが手伝ってくれたが、3時休みを削っても17本がやっとだった。
「年内に終らせてくれよ」と専務。だが、正味あと1日半くらいしかスケジュールがない。無理だ。あと30本以上残っている。なんか吐き気がしてきたな。
 年末の休みを少し削らなきゃいけないかもしれない。「F園さんにも手伝ってもらうから」とAさんは言うけど、それでも・・・。
 年末の植木屋は忙しい。

PS:そういえば出掛けに、川口自然光園で変死体を見てしまった。警察が検死をしていたが、命の儚さをまざまざと見せつけられた。私はあと何年生きられるのだろうか?こんな生活をしていたら、そう長くはないだろう。生活を変えなければと切実に思った。植木屋は辞めないけど。

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