空手マイスター

2002年6月16日
 空手ご教授の日。道場へチャリンコで赴く。幼年部と少年部を指導。疲れたのでサッサと帰ろうと思っていたが、有段者の同僚が続々と少年部の稽古中に集まってきた。「3時からなんかの撮影があるっていうから来いって館長に言われたんだ」とのこと。3時になると確かにカメラマンがやって来て、稽古風景の写真を取り始めた。カメラはニコンのF100、各交換レンズもプロ用のF2.8のズームだ。いいなあ、私もレンズをキャノンの同等のシリーズに買い換えて、本体もEOS−1Vというのにしたいなあ。百数十万円かかるけど。
 撮影は一般部の稽古まで続き、我々少年部の指導員も残って稽古に参加。ウワーッ!今日は道場に5時間もいて、身体動かしっぱなしだ。汗がドボドボと道衣からしたたり落ちていた。
 稽古終了後、館長を囲んで幹部連は、ファミレスでお茶。バミューダからきているG君の近況を聞いたり、各々くだらない冗談を飛ばしながら、館長の話しをたまに真面目に聞く。
 お茶は館長のおごりだ。愛車のヴュイックで帰る館長を皆で「押忍!」とお見送り。知らない人が見たら、絶対ヤクザだと思うだろう。
 とにかく今日は空手漬けの一日だった。この分で行くと、植木屋マイスターより空手マイスターになる日のほうが早い気がする。
 それから家に帰り、酒を飲みW杯観戦。スペインがアイルランドにPK戦でやっとこさっとこ勝った。スペインも以外と弱いなあ。優勝すると思ってたのに。これではブラジル・イングランドの方が強いのでは?と予想。
 W杯中継が終ると、今日は仕事でもないのに、疲労困ぱいで、また泥のように眠ってしまった。

降格

2002年6月15日
 朝一で川口グリーンセンターの芝の手直し。デコボコにクレームがついたそうだが、実際この工事はサービス工事なんだぜ。グリーンセンターの管理担当の上司が、へそ曲がりでクレームをつけてきたのだそうだ。みな憂鬱な顔で隅の方だけデコボコを直す。昨日の大雨で中まで入れないのだ。10時に作業は暫定終了。続きはまた晴れの日が続いた後だ。
 AM10:30から川口幹線道路の低木刈込みの続き。ヘッジトリマーを握ろうとしたら「君は掃除」と空手兄貴。遅いし、ヘタだから掃除専門人夫に降格されてしまった。私は公共造園管理の刈込み部隊としても失格らしい。まるまる6時間ひたすら道路の植樹帯の刈込み残材とゴミの掃除をさせられた。
 昔、女郎屋に売られた娘のことを「苦界に堕ちる」とか表現したそうだが、現代の男の苦界は、公共造園工事会社の掃除人夫だ。相変わらず、臭い・汚い・危険・きつい・屈辱の5K仕事。それでも土方より日当は安い。志がなければ、絶対に常人には耐えられない仕事だ。昔付き合った女どころか、息子達にもこんな姿は見せられない。女房には見せたいが。「オレはこんなに苦労して金を稼いで、お前達を食わせてやってるんだぞ。もっと小遣いよこせ!!」ってなもんだ。道路の際に溜まった汚水に浸かりながら、ビンや缶や使ったティッシュや食べカスなどを拾い集め、残材を掃き集め、パッカー車に詰め込む。これじゃ、どこから見てもゴミ屋だよ。
 庭師=植木屋マイスターの修行なら、茶庭やお寺の庭や個人邸の庭を、静寂の中で竹箒でサッサッサッと掃き清めていくのだろう。空手兄貴の話では京都の銀閣寺の抜根除草はピンセットで抜いていたそうだ。ああーー、お金に不自由さえしなければ、家族を食わせていければ、そんな植木屋で修行が積みたい・・・と心の底から叫びながら仕事をしていた。
 とにかく梅雨の雨模様で、葉っぱは道路にくっついて剥がれないし、ブロアーを使えば汚水のしぶきが顔に飛ぶし、こんな汚い環境で仕事をしていて病気にならないのだろうか?実際、深爪などしたら、そこが少し腫れて痛くなる。ボーッとしていると、大型トラックが鼻先をかすめて行く。「もう嫌だ!逃げ出したい!!」と心の底から思った。汗だく、ドロドロでPM5:00仕事終了。一目散に家に帰った。好きで転職したのだけれど、こんな苦界に堕ちてしまい、尚且つ掃除人夫に格下げの私。
 疲れた・・・。疲れたが家に帰って、腹筋と腕立てで筋肉を鍛えた。体重は70kgチョットに減っているので、筋肉で体重を増やさなければ、部活の組手がきついのだ。
 ああーーああー、もうどうでもいいや。苦界に堕ちたついでに、人生の辛酸を徹底的に舐め尽くしてやる。すでにかなりの辛酸を舐めてきた半生だが。苦界の底から植木屋マイスター=庭師への道はわずかしか見えない。その糸のような光を辿って、植木屋マイスター=庭師を目指すのだ。
 朝から、私が入社前に植栽したサクラの枯れ調査。芝川沿いの150本のサクラの枯れ具合をチェック、といっても私は待っているだけ。ラジオを聞いて、施行管理士の問題集を見ていた。
 AM9:00過ぎに、幹線道路低木刈込み開始。オオムラサキとヒイラギとイヌツゲを例によってヘッジトリマーでバサバサと刈込む。
 皆、仕事が早い。私だけ遅れ気味だ。矢名の頭と空手兄貴の視線が冷たい。休み時間も私だけポツンと一人で座って話しの輪に入れてもらえない。何か陰険な雰囲気だ。
 仕事もISO9000取得のための会議があるのでPM3:00で終了。ちょっと一服して会社に戻る。PM4:00から会議だ。先々週より出された宿題の「業務に関するクレームの改善・予防」に関する書類を2枚提出する。営業・現場監督・総務・私、全ての社員がまじめに書いてきているのに、空手兄貴と矢名の頭だけ書いてきていない。「水平展開、そんな日本語ないですよ」とか空手兄貴が御託を並べている。「あるんだよ!水平展開って言葉は、あんたが知らないだけだろう・・・」と心の中で呟く。これだから職人部隊は馬鹿にされるのだ。
 会議途中で妻からメールが入る。「森島が1点入れたよ」「ヒデが2点目ゴール」とW杯日本戦の様子が入ってきた。「日本決勝T進出」やったー!会議が終ると、営業部長がすぐにTVをつける。確かに2−0で日本がチュニジアを破り、決勝T進出が決定していた。
 今日はうれしい日だ。韓国も決勝Tを決めた。だが、ポルトガルの落っこちは悲しい。またスーパースター軍団の一角が崩れた。職人部隊の態度も頭に来る。仕事は楽で、いい事があった日だが、ちょっぴりひっかかる1日だった。

梅雨入り

2002年6月13日
 川口グリーンセンター芝張り工も終り、再び川口幹線道路街路樹低木刈込みに戻る。今日はサツキツツジがほとんどだったが、若干トベラとアセビもあった。どんな樹種にしろ、所詮はヘッジトリマーで一挙にやってしまうので、武蔵と小次郎の出番はない。いつも一応持っていくが・・・。空手兄貴の愛長手は、世界で1本しかない、鍛冶屋が打った特製のものだ。矢名の頭も然り。かっこいい。私ももう少し腕が上がったら、特製の道具を持ちたいものだ。
 昨日から梅雨入りし、涼しい。仕事がやりやすい。小雨が時折降るが、カッパを着るほどでもない。3人でヘッジトリマーを操り、ガンガン刈込んで行く。3ヶ所の刈込みが本日終了した。後は長い長い幹線道路を3ヶ所残すのみだ。ヘッジトリマーを持ちつづけると必ず出てくる腰と腕の独特の痛みにも、もう馴れた。こうなれば、もう余裕だ。
 PM4:40にきりのいい所まで行ったので、仕事を終了し、会社に戻った。帰りも早かったので、空手の道場に寄り、軽く稽古。ウェイトトレーニング中心に、また汗を流す。何しろ体重が70kgまで減ってしまったので、組手が不安になってきた。筋肉を付けて、75kgくらいまで戻さねばと思っている。できれば、超回復理論を根拠に、1日おきに稽古に出たい。これからは、仕事後の稽古を「部活」と呼ぶことにしよう。
 部活が終って、家に帰って、まだPM8:20だった。急いで風呂を浴び、イタリアVSメキシコ戦を観戦。ビールとウイスキーでバリバリ飯を食う。これも体重増のためだ。施行管理士のお勉強はできずに、眠ってしまった。でも、イタリアが決勝Tに勝ち進んで良かった。中田のセリエAの同僚達が予選リーグで敗退するなんて、あんまりだ。中田ヒデがセリエAに行って以来、トッティもカンナバロもデルピエロもビエリも皆馴染みが深い。破れるのなら、決勝Tでブラジルやイングランドや日本とやってもらいたいものだ。
 そういえば毎日フットボールの試合を見ている。こんな体験は初めてだ。さすがW杯自国開催だ。他の職人、矢名の頭さえ見ているらしい。世界一の祭典は、やはり素晴らしい。ビバ・フットボール!!
 今日は日本戦だ・・・・・??????・・・xxxxドキドキ!!!。

目土入れ

2002年6月12日
 川口グリーンセンター芝張り工3日目「目土入れ」である。まずは手押しのローラーで張り終えた芝生を展圧。ローラーを転がすのは下っ端の私の仕事だ。もともと足腰が強いので平気のへっちゃらだ。
 その後、黒土を芝の上に盛り均していく。空は小雨模様。涼しくていいのだが、黒土がべとついてかなわない。どうしてもダマになってしまう黒土と格闘しながら、目土を次々運び込み、手で降ろす。若い頃、土方のバイトを長いことやっていたので、こういった土方仕事は屁の河童だ。
 会社指定の材料屋が現場の隣なので、均しながら、頃合を見計らって1回1回黒土を買いに行く。伝票で決算なので、現金はいらない。黒土を買いに行き、荷降ろしするのも主に下っ端の私だ。
 結局、目土をきれいに均し、水くれをし、道具・トラックを洗い終えたのが、きっかりPM5:00。今日は久々に定時に上がれた。あとは家に帰って、酒飲んで、W杯見て、ちょっとお勉強して寝るだけだ。うーーん、どこか色気のある所に行ってみたい。今週は初っ端からフル回転で残業続きのため、心も身体も疲れきっているのだ。
 ああーー、お金が欲しいなあ。早く現場代理人ができる様になって、高級取りになろう。サイドビジネスの方も軌道に乗せなければ。目標月収70万円だ(含むサイドビジネス)!!
 世間ではフットボールのW杯が満天下の注目を集め熱中しているが、私は炎天下の下、熱中症だ。芝張り工2日目、本格的芝張りだ。芝の庭園=優雅=芝張り工も優雅、と思いきや、全然。きつい。熱い。昨日より汗と泥にまみれ、ドロドロだ。造園工とは辛い仕事だ。楽な現場など無い。ひたすら芝を運び、張り、汗をかく。身体は汗臭いどころか、風呂上りにも似た、汗そのものの匂いが漂っている。HELP、誰か助けてくれ。私はこの歳で、このような拷問を受けるような悪い輪廻を背負っているのかとマジで思った。熱中症のため、頭の中で由紀さおりの歌が何故か流れていた。完全に頭がイカレている。
 今日も1時間残業して、芝を張り終え、仕事は終了したが、明日の目土入れはもっと辛いらしい。やはりこれは、親の因果が子に報い・・・なのか?
 でも、明日雨なら目土入れは延期。はてさて、どうなることやら・・・。
 とにかく、今日はド疲れているので、アリナミンA25錠剤と、高麗人参エキス・ローヤルゼリー配合の栄養ドリンクを飲んで仕事をした。体重もとうとう70kgまで減ってしまった。これでは、ウェルター級だ。空手の組手がきつくなる。体重をふやさねば。肉を沢山食って、道場でウエイト・トレーニングでもしよう。
 とにかく私は痩せた。たった2ヶ月半で12kgも痩せた。これがプロの植木屋の現場の実態だ。
 だが、鳶の手元や土工をやっていた20代前半の頃の肉体と精神を取り戻した気がする。私は確実に若返っている。植木屋でいる限り、私は永遠に若い!若くて美しいのだ!!

ヘトヘトだあ

2002年6月10日
 川口グリーンセンターにて、わんぱく広場の芝の禿げた部分500平米に芝張り工である。今日は空手兄貴と二人で耕運。兄貴が耕運機で耕した場所を整地しながら、古い芝の根を集めてトラックに積みこむ。単純な重労働だ。そして今日も暑い。妻に用意させた2リットル以上の麦茶と水がたちまち無くなり、ジュース類を5本以上飲んだ。辛い。刑務所暮らしよりきっと辛いだろう。娑婆で生き抜くという事は、犯罪者になるよりつらい事なのだ。泥と埃と汗とで鼻の穴・耳の穴・口の中・足袋の中・作業着・髪の毛・顔・腕・全てドロドロだ。肉体的にもキツイ。もう辞めたい・・・と何度も思った。空手兄貴は私が思うように動けないので、冗談も出ない。相当怒っている。こんなに重労働でキツイ・キタナイなのに、植木屋の”日当”は安い。”日当”だぜ!
 現場監督の星E氏もあまりにもこき使われるので、6月20日をもって辞めるそうだ。私の1級造園施行管理士の師匠がいなくなる。彼には相当の好条件が与えられているが「お金より時間のほうが大切ですから」とのこと。真理だ。
 明日は今日終らなかった片付けを済ませ、芝張り本番だ。芝張りを学べる。いい機会だ。でも、死ぬほど今日はきつかった。
 せめてもの救いは、サラリーマンを辞めて自分を殺してまでも働かなくてもいいことだ。気分が悪くても、やることやってりゃ、お世辞なんぞ言わなくてもいい。疲れた顔を正直に出して、ブスッとしていてもいいのだ。変なストレスだけは溜まらない。しかし、肉体の疲労は極限にまで達する事がある。
 どっちがいいのかなあ?
 ちなみに給料は笑っちゃうくらい安い・・・。

優雅な休暇

2002年6月9日
 朝は釣り。朝といってもAM3:30出発だから、夜中だ。長男と二人、江戸川にて幻の川へ遡上してくるスズキを狙う。75cm以上もある大物もすでに上がっていて、食味も最高だ。強い風の中、苦労したが坊主だった。
 帰宅後、9:30に野田市の清水公園へ向かう。野球仲間6家族が集まって、みんなでお弁当やビールで昼食。その後、子供たちは1日中フィールドアスレチックスで遊んでいた。私は木陰で心地よく昼寝。友達の奥さんと世間話をして、のんびり過ごした。
 帰りにホームセンターに寄り、バラの鉢増しのための鉢底防虫ネット(100円)を買う。ついでに幸楽苑で夕食。さっぱり味のラーメンは旨い。
 帰宅後ロシア戦だ。1時間前からドキドキして落ち着かなかったが、試合はシビレたあーーっ!今でも興奮の余韻は消えない。本当に勝って嬉しい。チュニジアも撃破して、決勝Tへ行ってもらわないと。贔屓の伸二にももっと活躍を期待。とにかくW杯で、施行管理士の勉強がストップしてしまっている。やはりW杯は世界最大の祭典だ。仕方がないか。とにかくガンバレ日本!!!。ウレシイィィィィィッ!!!!!!!!!

炎暑

2002年6月8日
 再び川口幹線道路の街路樹に戻る。低木の刈り込みである。樹種はサツキツツジ・オオムラサキツツジ・オウゴンコノテなどなど。
 暑い。まさしく炎暑だ。光化学スモッグ注意報も出ている。もう嫌だ!逃げ出したい!と思いながら、ひたすらヘッジトリマーを操り、掃除掃除掃除。地べたに四つんばいになってゴミを拾い、埃と排気ガスにまみれて、掃除掃除掃除。刑務所暮らしでも、こんなに過酷ではあるまい。
 安日当で何故こんなに苦しみを味あわなければならないのか?親の因果が子に報いなのか?仕事をしながら考えたが、この間、祖父の葬式で4年ぶりにあった出家した私の母親の因業が、今の私の生活に大きな影となっているような気がした。惨めで辛い植木屋の修行時代。好きで転職したわけだが、これほど惨めだとは思わなかった。
 植木屋の元祖は夢窓国師であり、その衣鉢を継ぐ石立て僧である。その後、室町時代に時の将軍足利義政に愛された善阿弥を頭とする「山水川原者」達が日本庭園の造園技術を今に伝えたものなのである。つまり我々植木屋は「川原者」=エタヒニンの系譜にあたる。
 それもいいじゃないか。能の観阿弥・世阿弥も川原者。歌舞伎役者もまた同じ。我々植木屋はハサミとノコがあれば自由人なのだ。山水川原者(センズイカワラモノ)、それが植木屋=庭師の原点だ。
 A氏邸2日目である。夢の個人庭園しかも豪邸である。チョキッ・・・・チョキッ・・という音で、優雅にエレガントに仕事をするものと思っていたら大違い。昨年6人工かかったところを、今年は4人工でやれということで、空手兄貴はいきり立っている。息苦しい、そしてつまらない。これでは公共工事と同じだ!
 空手兄貴は私の仕事の進み具合の遅さに怒り狂っているようだが、言葉には出さない。私は私で6人工を4人工でやっているのだからと開き直っている。仕事の後、会社に戻り、その仕事の採点を専務が空手兄貴に聞くと「いま三」と答えていた。女房子供持ちの生活苦に喘ぐ私の立場を、40歳独身の彼はどう考えているのだろうか?A氏の会長と奥さんからは、その場では特にクレームは無く、大金持ちの個人邸の施主の慣例で、仕事後に粗品をご祝儀でもらった。
 事実、仕事は「いま三」のできだった。ヘッジトリマー初体験が失敗の原因だが、どうも最近、我が社の職人部隊の”悪意”を感じる。本気で1級施行管理士を取ろうとしていて、取ったら社長が厚遇すると言っていることが、嫉妬になっているようだ。だったら、自分達も取ればいいのに・・・。
 人間関係はどこに行っても難しい。出る杭は打たれる。積極的に人生を改善しようとしている人間に、変なバッシングは無用だ。
 まあ、この手の仕事は結局は実力。やることやってりゃ、つまらないことでケチを付けられても、それ以上の被害はないし、気は楽だ。昔のサラ公時代のように、社内営業が全てみたいな腐った世界ではない。
 もう、職人としてのスキルを、この会社で上げるのは無理だし、特に優れた職人もいないので、今後は造園家としてのマネージメントや技術を、一回り年下の監督から教わろうと思っている。
 職人的技術面は、独自に講習会に出たり、実験的なことをさせてくれる少数の施主さんとの付き合いや、専門校時代の先生・級友達との交流で深めていこうと決心した。
 今日も専門校のK先生から竹垣の図面が送られてきた。ありがたい、喉から手が出るほど欲しかったものだ。早速お礼のお手紙を書かなくては。
 人生は一生勉強&修行だ。それを怠った時に停滞と老化が始まる。停滞と老化現象を起こしている人と付き合っている暇は、今の私には無い。ポリティカル・アニマル的なくだらない人生を送る人々も哀れに思える。
 私は光にも似た速度で「植木屋マイスター」への道を突き進まねばならないのだ。

自身喪失

2002年6月6日
 もう自信がありません。植木屋を辞めたいですぅ。
 今日の現場は、浦和の豪邸A氏邸。個人邸である。幻の名人植木職人H田さん達が作った名庭だ。オオムラサキやサツキツツジの大刈り込みだけで5つもある。その他ドウダンツツジ・オオムラサキ・サツキツツジの丸物が無数。これらを一挙に明日までに1人で仕上げねばならない。相棒の空手兄貴はウメ7本を剪定しなければいけない。ハードだ。
 ヘッジトリマーはエンジン付きと電動の2つを持っていった。その他、長柄の佐々木小次郎と短い柄の武蔵の2刀。とりあえず、何も分からないのでエンジン式のヘッジトリマーで刈り込む。真夏日のもと刈り込む、ひたすら刈り込む。汗が目に入って、手が萎え、目がクラクラしても刈り込む。電動トリマーのことはすっかり忘れ、細かい所を佐々木小次郎で刈る。小次郎の調子が変だ。全く葉を刈り取れない。刃の噛み合わせが悪いのか?やる気を失い、細かい所は武蔵で刈り込む。こちらは新しいし、改造その他を施していないので調子がいい。調子がいいが、柄があまりにも短い。ヘッジトリマーの味を知った者には、刈り込みバサミによる手作業は苦痛だ。小次郎は柄の止め金のピンが1本無くなっていることに気付いたのは午後になってからだった。
 午後1:30頃から、表の庭の刈り込みをほぼ終えたので、掃除にかかる。所詮私は1年坊主の掃除人夫だ。3時休みに、私の刈り込みを見て空手兄貴が苦笑している。「やり直しましょうか?」と聞くが、何も答えない。午後4時に専務がやってきて、私の刈り込みを見て「なんだこりゃ?話になんないよー」といいつつ、私の武蔵を使って手直しを始める。空手兄貴も「訓練校で刈り込み習わなかったの?線が全然分かってないジャン」とのお言葉。
 今まで順調にやってきた自信が一挙に瓦解した。所詮本来は1年目。掃除や草取りの下働きをしながら見習わねば、会社の要望する勝手が分からないのだ。公共工事では早さを、個人邸では丁寧さを求められる。もちろん個人邸でも遅ければ煽られる。辛い・・・。私はこの世界ではバカなのだ!元々バカだが・・・・・・・。
 バカはバカなりに一生懸命やっている。しかし、これではお金はもらえない。最近、先輩職人や専務も厳しくなってきた。もうお客さんでは無いという事だろう。できなければ、労働賃金を下げられて、それが嫌なら会社を辞めるしかない。実力主義の職人世界は厳しいのだ。耐えなければ。そして限界を突破しなければ・・・。
 植木屋マイスターへの道は遥かに遠いと感じた1日だった。帰りに町の鍛冶屋に寄って小次郎を治してもらった。明日は失地回復の1日にしなければ。頼むぞ小次郎!!
 霞ヶ関カンツリークラブにてトウネズミモチの生垣を低く押さえる剪定の続き。今日は、空手兄貴も無事来たので、はかどった。残り全部を午前中に剪定し終わり、午後からパッカー車に詰めこんで掃除。4:30作業終了だ。太く切った傷口には水性ペイントのスプレーを塗布するも、途中でスプレーが無くなってしまった。続きは来週の月曜日だ。
 ところで、施工管理士と技能士のペーパーテストのお勉強があまりはかどっていない。昼休みに問題集をちょこちょこっとやるだけで、うちに帰るとビールと水割りでワールドカップ観戦。たいてい試合が終らないうちに泥のように眠ってしまう。今夜のドイツVSアイルランド戦もドイツ有利のまま後半途中で眠ってしまった。どっちが勝ったのかも分からないし、問題集も1ページもやってない。身体が疲れているので仕方ないかと思う反面、このままじゃ低級職人の域をいつまでたっても脱却できないぞと、恐怖にかられている。
 こうなったら、酒断ちでもして、1日2時間しっかり勉強するかな。将来は「庭園研究所」を作りたい私としては、この程度の勉強でヒイコラ言っていては仕方ないのだが・・・。
 明日は昔うちの会社で作った素晴らしい個人邸の手入れである。楽しみだが、お勉強もしなければ!
 今の会社は、元請け系の植木屋なので仕事は楽だそうだが、人使いは厳しい。早上がりとかない。
 今日も川口グリーンセンターで芝刈りをやり、午前で終えると、午後から急にO氏邸でオオムラサキの刈り込みと、つる草の除草。グリーンセンター用の芝刈り機は縦にカッターが回るタイプで、以前やった物と違う。紐でひっぱたくタイプの草刈機も初めて使った。
 O氏邸ではヘッジトリマーを使う予定だったが、つる草除草に回され、5時過ぎまでかかってしまったので、ヘッジトリマー(通称バリカン)の初体験はおあずけだ。しかし、明後日の個人邸では、みっちりヘッジトリマーを仕込むとのこと。人使いは荒いが、バラエティに富んだ仕事ができて、結構楽しい。
 植木屋に入って、1年間は草取りと掃除のみと覚悟していたが、何の事はない。ユンボもクレーンも、各ハサミ類も、機械類も全部やらされてもらっている。どんどこどんどこ仕事をこなせば、1年でかなりの事が覚えられそうだ。唯一の悩みは、公共工事系なので、仕事は速いが、手が粗い。これは、自分でやる時は、怒られないくらいに丁寧にやり、自衛するしかないだろう。
 明日も早出である。韓国戦を見ながら寝てしまうだろう。それにしても韓国は強いなあ。

一人で現場

2002年6月3日
 朝、早出なのに空手兄貴が来ない。専務は怒っている。専務自ら道具をダンプに積んでエンジンをかけて待っていた。「7時集合なのに、空手兄貴どうしたんだよ?」とイライラしながら、先に霞ヶ関カンツリークラブへ行ってしまった。待つ事20分、兄貴から電話で、親知らずを抜いたら顔が腫れて、痛くて堪らないので休むとのこと。もっと早く電話よこせよなあ。
 結局現場で専務から細かく実技入りで仕事の段取りの説明を受け、一人きりでの初めてのお仕事開始。今日の仕事はトウネズミモチの生垣を低く押さえる剪定だ。午前いっぱい鬼の形相で剪定ノコと剪定大バサミを使い、伸び放題のトウネズミモチを目線くらいの高さに押さえる。途中で専務もF園が受け持っているカンツリークラブ内の現場から戻って、手伝ってくれた。半分弱まで剪定が終わり昼休み。「午後から片付けに入って、片付けながら先に進んでね。遣り残しは絶対無しだよ、この現場は」と言いながら専務は帰って行った。
 午後からはダンプに落とした枝をダンプに積んで、クラブ内の捨て場に運ぶ。思ったより量が多い!気温30℃の中、汗だくになって片付けたが、3時休みも早々に切りあげ、ひたすら後片付けをしたが、結局午後6時を回ってしまった。畜生!ド疲れた!
 専務からダンプでの帰路、気遣いのTELが入った。ダンプは音が五月蝿くてクッションが滅茶苦茶悪い。適当に返事をして7時半頃帰社。会社では2人の若い監督が仕事をしていた。少し救われた気分だ。彼らは毎日遅くまで残業している。私も1級施行管理士を取ったら、彼らのように長時間残業の毎日なのだろうか?せっかく職人になって、朝は早いが夜も早い生活を手に入れたのに、これではサラ公時代に逆戻りだ。でも、生活のためそれも致し方ないか?
 怒涛の1日が終った。今夜もW杯を観て、泥のように眠りについた。

目が回る

2002年6月2日
 あいも変わらず貴重な休日なので、フル回転。
 朝3時に起きて、Nちゃんと江戸川へ釣りに行く予定が起きられず。うちの前で2時間も携帯で電話を鳴らしたり、ドアのベルを鳴らしたりしたが、私は起きてこなかったそうだ。昨日Hちゃんと飲みすぎたせい。中国美人に囲まれて1時まで飲んでいたのさ。Nちゃんゴメン!
 7時40分頃起床して、野球に向かう。野球では後半から出場して、1打席1打点1得点だったが、タイムリーエラーをこいてしまった。5点差をピッチャーの乱調とエラーで、最終回にひっくり返される。まるで素人の野球だ。前年度1部リーグチャンピオンとは思えない。
 1時半に家に帰り、飯を食って、2時半から空手の指導。他の指導員と館長と話しをして帰る頃、Nちゃんから電話で「夕まずめに釣り行かないの?青イソメ無駄になっちゃうんだよね」とTEL。うちに帰って競馬のビデオを見て、はずれたのを確認して、釣りへ出かける。
 今日の釣りものは、江戸川で川に遡上してきたスズキ狙いの豪快な釣りだ。夕方から8時ごろまで粘ったが、坊主。
 家に帰り、料理屋に妻と子と私の親爺と、上京した妻の実家の母が行っていたので、そのお土産の天婦羅で1杯。
 そしてW杯スペイン対スロベニア戦を見ながら、泥のように眠ってしまった。
 身体を休めるのは寝ている時だけだ。
 ああーー、ゆっくり温泉か南国のパラダイスにでも、1週間くらい行きたい・・・。

植木屋に戻るぞ

2002年6月1日
 やっと雑役のゴミ拾いが終った。長い長い3時のお茶休みを経て、空手兄貴と二人会社に4時に戻る。これからはISO9000取得のための道具係として、全ての道具のネームプレートを作らなければいけない。板を自前のノコで切ってネームプレートを作る。「いいノコ持ってるねえ」と空手兄貴。そんなにいいノコじゃないんすけどねえ。
 ネームプレートの仕事も5時きっかりに終わりにして家路に着く。今日は女房子供がいないので、ラーメン大成家で夕食。なかなかうまかった。
 夜は友人のタコプー会長を呼んで酒盛りだ。勢いで中国人パブへ行き、帰りは2時半。中国人パブは美人ばかりで、元モデルもいて最高。安いし。
 朝3時にナベちゃんが釣りの約束で、家に訪ねてきたらしいが、起きられず。すみませーーん。
 これから野球の試合に出て(1部リーグだぜ!)、空手の指導を2コマやって、夕方またナベちゃんと釣りに行く。岩国の妻のお母様も来訪予定だ。
 ああーー、お休みが週1日しかないので、忙しい・・・。

雑役夫

2002年5月31日
 私は雑役夫・・・植木屋ではない。毎日毎日道端のゴミを拾っている。おまけに空手兄貴から「仕事が遅いよ。オートレース狂親爺の倍は遅い。こんなんじゃ公共の仕事では言語道断だよ」と、きつく注意された。仕事は遅くはない。事実、拾ったゴミの容量は私の方が多いし、空手兄貴自身が仕事が終わった後、矢名の頭から「ずいぶん沢山ゴミ拾いしたなあ」と言われ「ええ、今日は進みましたからねえ」と答えていた。前代未聞に遅い仕事の相棒とで、自慢できるくらい仕事が進むか?それに私は庭師または造園家になりたいのだ。公共造園工事人夫ではなく・・・。
 最近、仕事に馴れて私の態度が不遜になっているのかもしれない。それに私が1級造園施行管理士を受けるのを社長が非常に喜んで、受かれば現場代理人として重用すると話しが流れ、多少のやっかみがあるのかもしれない。どういう理由にしろ、頭ごなしに怒られるのは覚悟の上で、この世界に入って来たし、高邁な理想があるのでへっちゃらだ。明日からは謙虚に振舞おう。いらぬ敵は作らない方がいいし、この世界では兄貴分の言うことは絶対だ。
 ゴミ拾いは明日で終るだろう。その後は低木刈り込み・消毒・高木剪定が待っている。再び植木屋に戻れる日は近い。防毒マスクも阿武隈の剪定バサミも買ったし、明日からまた頑張りましょう!!

抜根除草完了

2002年5月30日
 川口幹線道路の抜根除草が今日の午前に終了した。「ヤッターッ!」と思ったのもつかの間、次はもっと辛い清掃だ。フリダシに戻って清掃・・・。犬畜生の糞も、抜根除草の時はよけて通れば良かったが、今度はそうはいかない。真正面から取り組んで、確実に清掃しなければいけないのだ。
 つくづく人生は頭を使って渡世しなければいけないと思った。所詮、公共工事中心の植木屋では、この程度の仕事ばかりだし、率直に言えば雑役夫だ。早く1級造園施行管理士を取って、現場代理人ができるようにならなければ、雑役夫の人生から抜け出る事はできない。人間として、会社員として、まともに扱われないのだ!清掃が終れば、予定では低木の刈り込み、消毒、高木剪定などが待っている。これらを一通りこなして、1年の植木管理のサイクルを経験できるわけだが、犬畜生の糞片づけまでさせられるとは思ってもみなかった。
 道行くおばさん達が「ご苦労様です」などと言ってくれるが、それも底辺の仕事をする者達に対する一種の哀れみなのだろう。植木屋だと知ってサツキの刈り込みの時期などを質問してくるおばさんもいるが、的確かつ丁寧な回答をして植木屋であるはずの自分を誇示しても、気休めにもならない。
 とにかく今は辛い。辛い時期を乗り越えて、刈り込み・剪定など、やっと植木屋らしい仕事にありつけるのだと自分に言い聞かせ、無念無想の境地で明日も清掃作業だ。

大宮倶楽部

2002年5月29日
 しらこばと水上公園にて芝刈り。初めて芝刈り機を扱うので楽しい。でも強烈に暑かった。空手兄貴から散々煽られたので、仕事は4:30に終り、会社に帰って他の現場の人の片付けも手伝う。
 そして今日は専門校の大宮近辺の人の同窓会「大宮倶楽部」の日だ。大宮近辺のはずなのに、はるか荒川村よりご到来の同窓生もいて、総勢13人。同窓生の半分以上が集まった。みんな年をとってからの学生時代を持てたことが懐かしいのだ。
 各同窓生はみんなそれぞれ一生懸命働いていて、それぞれ大変だが、生き生きとしていた。人生は短い。はかない一瞬の夢の如しだ。やはりポジッティブ・バイブレーションでいかなければと、つくづく思う。
 今夜は楽しかった。全ての庭職の同志に乾杯!!

糞尿

2002年5月28日
 犬畜生の糞尿まみれの毎日。今日も川口幹線道路の抜根除草。鼻の穴は真っ黒。このままいくと、いつかバカ車ふっ飛ばし野郎や無道ダンプに轢き殺されるだろう。自分も結構飛ばす方だが「車が大好き!用も無いのに車に乗ってやたら飛ばすのがサイコー」という手合いは大嫌いだ。大嫌いと言うより単純に迷惑だし、底の浅い趣味の奴らだと軽蔑する。車は単なる移動手段であって、スピード狂なら、レースに出りゃいいだろうと思う。とにかく街のスピードキング様達には困り者だ。まあ、バカばっかしだから仕方が無いが。
 抜根除草をやっていると、やたら足袋が磨耗してほつれてくる。どうやら私は左足の甲を引きずりながら移動しているためと判明。3足の足袋がここ1ヶ月ですりきれた。今後はウンコ座りで除草する方がいいと空手兄貴の助言。背に腹は変えられない。1ヶ月で3足も足袋がすりきれてしまったら、お金がいくらあっても足りない。これからはウンコ座りだ。
 ところで、1級造園施行管理士の申込書が書き間違えだらけなので、妻に頼んで新しいのを買ってきてもらうことにした。空手兄貴の話では、やはり1級施行管理士を取れば、会社の待遇も格段に良くなるそうだ。会社でも1級の現場代理人を欲していて、私がそのつもりだと分かり、期待しているとのこと。なんとしても受からなければ。このままでは女房子供を食わせられないのだ。
 今日は会社に帰ってから、明日の芝刈りの準備。芝刈り機と草刈機を混合オイルを作って試運転。初めての体験だ。楽しい!
 一通り終って、家路に着いたのは7時を回っていたが、明日は少しは変化のある仕事だ。待ってろよ。しらこばと水上公園の芝と雑草達よ。

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