デスクワーク

2002年7月6日
 入社以来始めてのデスクワークの1日だった。
 ISO9000取得のため、その書類整理とレクチャーで1日があけた。これが結構辛い。徹底した肉体労働になれた体には、炎天下の重労働より、1日中机に座って書類を書いたり、人の話を聞いたりするのは辛いことになってしまった。変われば変わるもんだ。もうサラ公には戻れない体なのね。
 肉体は悲鳴を上げていたはずだが、やはり適当に体を動かさないと、かえって疲れる。帰りに予定していたことだが、部活をやって帰った。1時間ほどウエイト・トレ、サンドバッグ、基本、型、シャドウをサーキットでやる。汗が何リットルも吹き出た。もちろん家に帰ってから、SAVASのTYPE1のプロテインを牛乳で溶かして飲む。体重が減っている、減っているのだ!これを筋肉で5kgほど取り戻さなければ。ついでにベンチプレスで100kg上げられるようにしたい。もちろん腹筋・背筋・足腰も鍛える。ああー、気持ち良く疲れた!
 というわけで、今日はとくにストレスもなく1日が暮れた。
 植木屋マイスターと空手マイスターの2つを目指す、欲張りな私です。

下等労働者

2002年7月5日
 パッカー車のゴミを環境センターに捨てに行って、三郷中川浄水場に到着。今日は朝から7時間掃除オンリーだ。地獄・・・じ・ご・・く・・・。
 つまらない、最低の人種のする仕事、臭い、汚い、バカ・・・。
 もう・・いやだ。我慢ならん。一緒に働く職人も最低の人種だ!!
 ここまで最低だって、学校でも教わらなかったぞ!
 騙された・・・。
 こんな、腐れ業界になんか、就職した私が馬鹿だった。

熱中症

2002年7月4日
 三郷中川浄水場、気温32℃(午後3:30現在)、アスファルトの上の体感温度は40℃以上だ。体中が火照る。汗が噴出し、頭がガンガンし、時折鳥肌が立つ。気持ち悪い。完全に熱中症だ。
 午後1時過ぎに専務が見回りに来て、私を煽るつもりで少し仕事を手伝っていたが、汗だくになり、途中で「冷たいものでも飲んで」と千円置いて逃げ帰った。「年寄りには負けるなよー」と捨て台詞を吐いていったが、私は心配ない。ここでめげれば家族全員飢え死にだ。飢え死により熱中症でぶっ倒れるくらいの方がましなので、一生懸命働く。
 汗はもう何リットル出ただろう。それにしても割の合わない仕事だ。こんなに肉体的に辛くって、大した技術でもないバリカンでの丸物の刈り込み・・・。安日当・・・。つまんねー仕事!!もうやってらんねーよー。バカだぜバカ!!早く施行管理士とって監督になろう。それでつまらなければ、この世界から足を洗おう。老後の小遣い稼ぎ程度の仕事ができる程度にはなったし。とにかく底が浅すぎるよ、この世界。特に公共工事の植木屋・・・。あーーあーーーあっ・・・。
 夢窓国師など、夢のまた夢・・・。

電気バリカン

2002年7月3日
 三郷の浄水場にて低木刈込み。気温30℃、湿度80%近く、汗がほとばしる。午前中は電気バリカンで丸物の刈込みを30本ほどこなし、午後は新人恒例の掃除専門係だ。
 とにかく暑い。汗で作業着はビッショリ。パンツまでグショグショだ。矢名の頭とオートレース親爺と監督K氏の4人で鬼のように仕事を進める。とにかくここは巨大な現場なのだ。
 3時休みに「あと1時間で終るかな」と矢名の頭が呟いていたが、結局仕事は5時ぎりぎりまでかかった。パッカー車に残材を積んで、一人会社に戻る。なんか新人は孤独だ。来年、熊谷高等技術専門学校の生徒を1人誘って、派閥でも作ろうかしら?
 とにかく今日は疲れた。家に帰って缶ビール500mlを2本飲んだら、あとはやはり泥のように眠ってしまった。こんな生活から抜け出さなきゃ。これじゃ山谷で働いてるのと変わらない。毎日毎日汚い重労働とイビリと、酒を飲んで寝るだけの生活。悪循環が日ごとに大きく膨らんでいくような生活。
 植木屋なんて結局こんなもんか?結局は下級な肉体労働者にすぎないのだろうか?
 私はもっと、高度な仕事がしたいのに。夢窓国師や善阿弥や植治や重森三怜や佐野藤右衛門みたいな仕事がしたいのに。あるいはそんな仕事に関わりたいのに・・・。
 実際の私は、毎日毎日、公共造園工事で先輩達から追われて、ただの労務者の生活を送っています。でも元気ならいいけど、精神的苦痛と蓄積した疲労で、明日にでもぶっ倒れそうです。
こんな馬鹿げた世界になんか、入らなきゃ良かったと、つくづく後悔しております。

疲労蓄積

2002年7月2日
 しらこばと水上公園予備日。仕事は予備日なので、シュロの剪定、サルスベリ、メタセコイヤの軽剪定、枯木と鳥居支柱の撤去くらいで楽だった。3時休みには大方終わり、私だけ環境センターに満タンのパッカー車のゴミを捨てに行く。環境センターは受け付け締めきりぎりぎりだったので、車の数も多く正味1時間は待たされたろうか。
 電話で会社に確認すると、矢名の頭とオートレース親爺と監督K氏はすでに戻っているとのことなので、そのまま会社に帰り、ダンプの残材をパッカー車に詰め替え、本日の作業終了。
 全体的に楽だったはずの今日の作業だが、何故か最近疲れが溜まっている。帰りに部活をやっていこうと思ったが、着替えの普段着を忘れ、泥だらけの作業着で行くのが嫌なのと、疲労を回復させるのが何よりの稽古と思い、直接家に帰る。
 家に帰ってからも、「ジョー&飛宇馬」という明日のジョーと巨人の星の復刻版形式の雑誌を、少しだけ読んで、にんにくと野菜と海藻類と肉をたっぷり食べ、プロテインとビタミン剤を飲み、早めに寝る。
 この疲れを取るのには、ちょっとした旅行でもして、気分を完全に変えなければだめだろう。泥と汗にまみれた肉体労働に、身も心もほとほと疲れきってしまっているのだ。
 旅行はしばらく無理そうだから、早めに帰って、漫画でも読んでリラックスして良く寝よう。
 施行管理士と技能士の勉強もやらなきゃなあ・・・。

のどかに仕事

2002年7月1日
 空手兄貴と2人で霞ヶ関カンツリークラブ。空手兄貴も2人になると妙にフレンドリーだ。心の重圧感が今日もなく、気分が良い。
 雨も幸い午前中で止んだので、泥だらけにはなったが、暑くなく寒くなく、まあまあのコンディションである。
 本日の作業内容は、ヤマブキの間引き剪定と入ったばかりの頃に植えたビョウヤナギやシモツケ、ヒペリカムカリシナム、ハギなどを自然風に剪定し、周りを除草した。
 バラの花壇もきれいに除草後、花の下数cmから数十cmの葉のあるところで落とす。花がまだ付いているものもあるが、バラの剪定に情けは禁物。いいとことで落としてあげないと、茎が太くならない。
 最後に時間が余ったので、サツキツツジの植えこみの中を抜根除草。全体的に余裕のあるスケジュールの中、のんびりと仕事を終えた。
 現場が遠いので、会社に帰ってから片付けをし、営業のAビコさんと3人で話しをしていたら、帰りは7時を回っていた。
 今日は木バサミも使ったので、静寂の中、「チョョッキーーン」という、あの独特の音が鳴り響いて、とても植木屋らしくて心地よかった。
 毎日こうならいいのになあ。毎日こうなら植木屋になった実感を感じられるのになあと、しみじみ思いながら、木バサミで「チョッキーーン・・・チョッキーーン・・・!」と楽しんで仕事をしてきた。
 

法要

2002年6月30日
 日曜日であるが、群馬県桐生市まで電車で出かけ祖父の法要に出席してきた。きょうは49日で納骨である。寺では国会議員の隣で、お清めの席では面白い母親の従兄弟と隣だった。死んだ祖父は骨になり墓の中に消えていってしまったが、人生はまさに朝露の如しだとつくづく感じた。八木節保存会の会長で、昔はよくTVなどにも出演していた祖父だが、骨になるととても小さくて、はかなくて、悲しかった。つくづく人生は1日1日を大切にしなければと真面目に思った。
 帰りがけに大宮のロフトでプロテインを買い、家に帰って早速試飲。肉体改造をして、72kgに減った体重を75kg以上に筋肉で戻そうと思っている。空手にもいい影響がでるだろう。植木屋は体重は軽い方がいいのだが・・・。
 夜は当然W杯だ。決勝だ。ドイツ対ブラジルだ。感動のフィナーレを観て・・・と思っていたが、後半ブラジルが2点リードしたところで「勝負あった」と気が抜けて寝てしまった。やはり疲れが溜まっているのだろう。どこかでガス抜きしないとパッタリ逝ってしまいそうだ。まさに骨休めをしないと。
 夏はどこかの温泉にでも行ってこよう。骨休め、骨休め・・・。ああーー、まったりしたい!
 しらこばと水上公園2日目。高木剪定と枯木の撤去である。矢名の頭がドタキャンで休みなので、私と空手兄貴とオートレース親爺と監督K氏の4人で現場に赴いた。下請けのJ造園も低木刈り込みで入っている。
 久々に木バサミと剪定バサミと剪定ノコを腰に付けて、15段脚立に登って高木剪定をした。「うわーい植木屋だー」と思ったら、樹種はシュロだけ。シュロを50本あまり、ひたすらオートレース親爺と2人で抜く。抜いて抜いて抜きまくる。剪定バサミの根本に手を挟み血豆になっても、手首や掌がどんなに痛くても、懈怠は許されない。空手兄貴は枯木をチェーンソーで伐採している。パッカー車もクレーン付き4t車も残材で満タンだ。
 3時の休憩時間に専務が様子を見に来た。1人足りないので、作業の遅れを責められることもなく、休憩後すぐに掃除にかかった。空手兄貴が先行して掃除をしていたので、結局4:30に作業終了。監督のK氏も「残りは来週の火曜日でいいでしょう」とのことなので、会社に帰った。
 今日は4:30頃雨が落ちてきたが、なんか精神的圧迫感もなく、シュロ1本槍とはいえ、高木剪定をし、程よい気温の中、気分良く植木屋の仕事ができた。
 こんな日が続けばいいな。こんな日々を送れれば、肉体的に多少きつくても、植木屋になった甲斐があるというものだ。
 帰りがけ床屋に寄り、家で韓国対トルコ戦を見ていたが、結果を見ずに寝てしまった。トルコが3−1で勝っていたところまでしか覚えていない。
 でも、心地よい疲労と満足感の1日だった。

芝を刈る

2002年6月28日
 しらこばと水上公園で芝刈り。メンバーは私・空手兄貴・オートレース親爺と監督のK氏。横回転のロータリー式の芝刈り機でガンガン芝を刈る。全員がこの現場に馴れたせいなのか、先日刈ったばかりで芝が短かったせいか、K氏が猛烈な勢いで掃除をしてくれたこともあり、芝刈りは3時に終った。
 長いながーーい3時休みをとって、一緒に仕事に来ている下請けのF園の人たちの剪定残材をパッカー車に詰め込む。全作業は5時に終了。さっさと引き上げて、家路に着く。
 日曜日に法事があるので、大宮の安い床屋へ行こうと寄り道したが、どこもやっていない。丁度時間となりました、で店を閉めていた。明日行こう。
 仕事は結局、心意気だ。今日はメンバーがいつもと違うので、鹿頭攻撃もなく、雨も降らず、気分良くできた。仕事の疲れも心地よい。本来はこんな環境を求めて、この業界に転職したのだ。新人イビリはイニシエーションなのだと割り切って、なんとか自分を認めさせるまで頑張らなければ。
 前の会社も統廃合で、主だった後輩のほとんどが辞めるらしい。皆、幹部連中の横暴さ、無責任さに腹を立てているとのことだ。まったくどっちへ転んでも地獄だった。
 でも今は、わずかな光明がある。「植木屋マイスター」目指し、あらゆる試練に耐えぬかなければ。

下衆

2002年6月27日
 下衆の仕事が今日終った。明日は別現場で芝刈りだ。それにしても、あいも変わらず「後輩なぶり」は続いている。専務にも悪いことは全て私のせいだと報告しているようだ。これはもはやバッシングなどではなく、「なぶり」だ。
 向うがその気なら、こっちも逆切れしてやろうか?空手兄貴は自称「空手の達人」らしいから、私の顔面パンチやハイキック位よけられるだろう?矢名の頭は・・・はてさて、どう対処していいやら。とにかく下手に出てると、いい気になってあらゆる汚いことをやってくる輩には、退社覚悟の逆切れしかないんじゃないかと、真剣に考えている。
 やっぱり、植木屋なんて下衆の多い職場だ。前の会社も似たようなもんだったが、少なくとも新人に仕事の責任を全部押し付けるほど程度は低くなかった。また、程度の低い幹部連中も、そんな報告を良しとはしなかった。
 ああーー、植木屋・・・庭師・・・造園家・・・すべて幻想だ。こんな世界に首を突っ込んだ私がバカだった。なにしろ各種保険はおろか、労災保険さえ無くて、月給10万円、賞与無し、なんて労働条件さえまかり通る世界だ。バカだぜ、こりゃ!
 ああーー失敗した。全然芸術とも程遠い。むしろバカの巣窟の世界・・・・・・・・・・・。
 1級造園施行管理士だ。これだけを取るために、今後の展開を考えよう。
 ああーー、植木屋なんかにならなきゃよかった!!!!!!!!!!!!!!!!!

猛烈

2002年6月26日
 猛烈に働いた。昨日の空手の稽古の後遺症か仕事のはかがいった分の疲労のためか、精も根も尽き果てた感じだ。もう少しで低木刈込みが終るぞ。
 専務からは、会社の畑を使って、低木刈込み・高木剪定・2級技能士の練習など、なんでもやるように言われた。1日でも早く戦力になってもらいたいし、資格もしっかり取ってもらいたいとのことだ。いい会社だ。1年間はゴミ拾い専門と覚悟して入ってきたが、これなら腕の上がるのも早い。早速、暇を見つけては特訓しよう。
 今日は仕事のはかがいったので、空手兄貴も矢名の頭も機嫌が良かった。やはり、仕事がうまく運べば全て丸く収まるのだろう。人員が3人と4人では、効率も倍近く違う。労務管理のいい勉強になった。人員はケチらず、適性に配置してこそ、仕事の能率がアップし、クリティカルパスになるのだ。
 とにかく今は、取れるだけの資格を取って、職人の技もどんどん吸収して、植木屋マイスターへの道を駆け上がって行くことしか考えていない。
 突っ走ろう。
 私も今日で40歳になったことだし。

部活

2002年6月25日
 小雨交じりの川口幹線道路街路樹低木刈込み。相変わらずゴミ拾い専門で、悪ガキ小学生にも「清掃員だあ!」とからかわれた。本物の清掃員はもっと給料がいいか、市役所の職員で待遇がいい。私は植木屋の清掃係なので、日当制で雀の涙のような給料で働いているのだ。
 幸い今日もオートレース親爺が来てくれたので、無言の行はなかった。メンバーも四人いたので、仕事もはかどった。私の掃除が遅いと不評を流されていたが、なになに、いざ正当な人員を配置すれば、むしろ私の掃除は早い。刈込み二人ともう一人の掃除係を圧倒するスピードだ。今後はもう文句は言わせないぜ!!
 仕事もたっぷりはかどったので、5時きっかりにあがり、帰路についたのも5時40分だ。時間があるし、気分も良いので部活(空手道場)へ赴く。道場ではE三段が待ち構えていて、歯ごたえのある組手の相手が欲しかったらしく、たっぷり私は相手をさせられた。E三段はさすがに強い。がしかし、私もなかなかに強い。1本取られずなんとか組手を終えられた。先生!私にも三段くださいってなもんだ。でも、物凄い前蹴りくらって、今でも吐き気がするぞ。実戦空手は辛い・・・。 部活が終って家に帰るとフットボールのW杯。ドイツが勝って良かったね、と心の底から思う。いくら韓国が大躍進したといっても、決勝に残るのは、ブラジルとドイツでなければいけない。これは定説なのです。
 というわけで、今日も1日が終る。今は妻の買って来てくれた「雪中八甲田」という銘酒と、お袋が送ってきてくれた「泉州水茄子の漬物」と穴子で一杯やっている。
 それでは皆さん、また明日。
 ああーー、今日は気分が良い!!!

無言の行解禁

2002年6月24日
 今日はメンバーが替わった。矢名の頭の替わりにオートレース狂親爺が入り、無言の行からは解放された。オートレース狂親爺は私には腹に一物も持ってないので気軽に話し掛けてくれる。つられて空手兄貴も話しかけてくる。気分が大分違う。
 しかし、10時の一服時に専務が様子を見に来て、私に激しいハッパをかけて行った。朝の打合せで、刈込みが遅くなっている一因に、私の掃除が遅いとでも空手兄貴から報告されたんだろう。チクリ屋め!!確かに遅くてヘタだが・・・。
 一服時に話しているうち気が付いたのだが、どうやら空手兄貴より私のほうが、日当の単価がいいらしい。家族手当みたいなもんだが、この道8年、2級技能士の空手兄貴には気の毒だ。おまけに私が今年1級施行管理士を取ったら、待遇にまた差が出てしまう。今は日当制の最下級作業員で、社会保険と厚生年金はあるが、大病でも患ったらいっかんの終わり状態だ。だが、1級施工管理士を取れば、完全な正社員にしてくれるので、生活は安定する。何しろ今の状態じゃ、ゴールデンウィークや盆暮れの休みの多い時=1番金のかかる時に給料が極端に減ってしまうのだ。隔週だが、週休2日制にもなる。残業手当もちゃんと付く。そんなこんなのやっかみが、矢名の頭と空手兄貴のバッシングの原因なのかもしれない。
 がしかし、そんなケチな邪魔立ては気にせず勉強だ!修行だ!早くまともな人間、普通の日本人になりたーーい。
 今はドヤ街に住む日雇い人足のゴミ屋の状態だからねえ・・・。

良き日

2002年6月23日
 朝から妻が青森へ出かけた。働いている生協が福祉事業を開始するとのことで、その視察のため、青森の老人介護施設へ飛行機で日帰りの旅だ。帰りに良い酒を買ってくるとのこと。楽しみだ。
 と、いうわけで、今日は子供二人の世話。子供を連れ後楽園へ競馬を買いに行き、そのまま首都高をふっ飛ばして野球の試合。野球は息詰まる投手戦の末、延長戦に突入。結局お互いエラーがらみで1点づつ取って引分けだ。子供たちは買ったばかりのテニスラケットやキックボードやサッカーをして、広々とした芝生の上で楽しそうに遊んでいた。
 競馬は宝塚記念。本線ははずれたが、特券1枚11倍ゲット!!
 少し休んで、夕方子供二人と男同士でもんじゃ焼きを食しに行く。もんじゃ焼きにしては、ちょっと高いがうまかった。ビールもうまい。お腹いっぱいだ。
 さあ、明日から仕事だ。また、”黙々”と頑張らねば。家族を飢えさせる訳にはいかないから。

泣きっ面に蜂

2002年6月22日
 強制労働修道院の生活は今日も続いている。更に悪いことに、今日は私の運転するパッカー車が動かなくなってしまった。「ちゃんと朝、点検しなかったのか?」「そういうことをするのがISO9000の主旨なんじゃないのか?」「ここで作業が遅れたら、あんただけの責任じゃすまないんだよ。ここにいる3人全員の責任になっちゃうんだよ」などど、責められた。原因は燃料メーターが壊れていて、燃料はたっぷり入っている表示があるのに、燃料が切れてしまったせいだということが分かり、自動車整備屋を呼んだら、すぐ治った。ガス欠。私もガス欠しそうだ。
 さんざん私を責めていた矢名の頭は、歯医者の予約があると言ってPM2:30に帰ってしまった。なるほど、そうゆう理由かあ。そうゆう理由だから、少しでも仕事のハカを行かせたかったんだ・・・。
 空手兄貴が「メーターなんて信じちゃいけないよ」だと。じゃあ、何を信じりゃいいんだよ?バカばっかし。ペッ!!お前がISO9000の車両係だろうが?この間、車検にだしたばっかりで、多数の人間が乗り替わる車の燃料の具合を、どうメーター以外で判断しろって言うんだよ?
 なんでも人のせいにする、下級作業員共の所業にはつくづくうんざりだ。植木屋なんか目指さなきゃよかった。というより、ここは植木屋でさえない。単なる町の清掃屋だ。つまらなすぎる!
 幻想は終ったのだ。理想の植木屋マイスター=庭師、または造園家への道は、もう無い・・・。 資格を取ったら、さっさと辞めよう!

刑務所暮らし

2002年6月21日
「すいませーん、ゴミ車どけてくださーい」と言われた。これはパッカー車と言って、別にゴミ車ではないんだが・・・。専門校の同級生に、刑務所暮らしをするつもりで植木屋の下働きも頑張りますと言って、今の会社に入ったが、正直刑務所暮らしよりつらい。空手兄貴は相変わらず冷たいし、夏の日差しの中や土砂降りの中のゴミ拾いはきつい。家に帰っても寝るだけだ。なんでこんなことになったのだろう?別に何も悪いことはしていないのに。これが職人世界の新人いびりなのか?
 1日中誰とも口をきかず、重労働をしていると、頭がおかしくなる。変な妄想や幻聴のようなものが聞こえて来たりする。現場が街路なので、このままいくと危ない。そのうちボーっとしている時に、トラックにでもはねられて死ぬだろう。
 気をしっかりもって、ことにあたろう。今後は刑務所ではなく、強制収容所兼修道院に入ったつもりで、この危機を乗りきらなければ。強制収容所兼修道院・・・そんなとこあるか?!
 

ISO9000

2002年6月20日
 またもや、ゴミ拾い専門。だんだんゴミ拾いがうまくなった。こうなったらゴミ屋にでも転職しようかしら。給料は相当いいらしい。専門校時代の庭の掃除が懐かしい。好きな道に進んだはずが、生きるためにゴミ屋かあ・・・。現実は厳しいのお。
 しかし、今日は仕事は午前中で終り、午後からはISO9000取得のための書類整理や機械整備。丁度午後から雨が降ってきたので助かった。
 今、埼玉県内の大手植木屋がこぞってISO9000を取ろうとしている。造園業協会にコンサルタント会社の営業が、巧妙に売りこんできているらしい。うちの専務も取得に向け必死だ。国際標準の品質管理に関する資格が、植木屋となんの関係があるのだろう。コンサルタントの話だと、土木系も含め、今後は公共工事の入札に、持っているか否かではっきり区分けされるとの事だが、初耳だ。全てがマニュアル化されるので、新人の私には助かるが、書類が増えて、仕事量も確実に増えてしまう。
 明日も3時までゴミ拾いをやって、3時からISO9000関連の書類作成だ。体がちょっと楽なので嬉しいが、家に着いてビールをちょこっと飲んだら、またもや9時前に泥のように眠ってしまった。
 仕事はゴミ拾い、家では泥。
 私の未来は暗い。

職人

2002年6月19日
 今日も1日ひたすら路上のゴミ拾い。さほど暑くもなく、黙々とゴミを拾いつづけた。しかし、よくネを上げないもんだと、自分でも感心する。しかも、バッシング付きだ。
 夜、古い友人と飲みにいく。現在の状況を細かに話すと「職人世界ってのはそんなもんだよ。自分より上を後輩が行こうとしたら、邪魔しに入るんだよ。以外と自分たちだけの狭い世界に生きてるんだから」と訳知りに言われた。彼はいつ職人世界と交流があったのだろう?でも、間違ってはいない。
 とにかく今は、入社以来最大のピンチだ。人間は孤独と誇りを傷つけられるのが、何より精神的に応えるし、それが生活や身体のアンバランスを引き起こし、自己が崩壊する。
 でも耐えなければ。酷い仕打ちにも、夢とはかけ離れた仕事でも、一端始めてしまったのだから、逃げるわけには行かない。正面から壁をブチ破って、次なるステップを踏みしめよう。
 来年の春には、先輩職人も全て私の指揮下に入る・・・だろう。
 必達!1級施行管理士、2級技能士合格!!

汗をかきまくる

2002年6月18日
 私は哀れな肉体労働者。頭が悪いので、ひたすら汗をかいて、わずかな日当をもらって暮らしている。仕事の内容はゴミ集め。植木屋ではない。多分日本で一番身分の低い人種だ。汚い・危険・きついに加え、あいも変わらず、臭い・気持ち悪い・屈辱の、ええーーい1つ増えて6k仕事だ!!
 ついでに、つまらない・陰険・暗いを加え、7K1T1Iだ!!!!!!!!!!!!!!
さいてーーーーーーーーーーいっ。ぜーーんぜん、庭師=植木屋マイスターの修行でもなんでもない。
 資格を取って、違う会社に鞍替えしよう。現場代理人=現場監督なんかになるために、この世界に入ったわけじゃないし。
 とにかく今日もひたすら、川口幹線街路のゴミ拾い。昼休みに服を着替えたが、大雨の中、カッパで死ぬほど追いこまれたゴミ拾いをしていると、たちまちカッパの中は汗でグショグショだ。同じ掃除でも個人やお寺や茶庭などの掃除ならいいが、道端だぜ道端。道端にはいつくばってゴミ拾い・・・。どこが植木屋なんだろう。これじゃ町のゴミ拾い専門人足だ。
 爆発しそうな自分をなんとか押さえ、帰りに空手道場による。目いっぱいここでも汗をかいたが、その汗は爽やかだ。道場での席次も高いので、プライドも取り戻せる。今後は辛いときは空手道場に行こう。
 そして、もっとまともな、ちゃんとした植木屋を探そう。妻も毎日の作業着のあまりにもすさまじい汚れ方に「もっと小さな植木屋さんに就職すれば?」と言ってくれている。
 ああーー、公共工事中心の植木屋の人足。それでは庭師にはなれない。
 焦り・・・・・。

爆発しそうだ

2002年6月17日
 もう嫌だ。今の会社を辞めたい。相変わらず1級施行管理士を取ってからの私への処遇が良くなるのでは?云々の話があって以来、空手兄貴と矢名の頭のバッシングは続いている。必要な事以外一切話しかけてこないし、こちらから話しかけても最低限の返事しか返ってこないか、必要がなければ無視。何かミスがあると、私に直接言わないで、二人だけでなんかゴチャゴチャ言っている。親方になれない哀れな平職人の狭量さにはつくづく辟易だ。
 我慢我慢。ここは我慢のしどころだと自分に言い聞かせて、黙々と仕事をしている。必要な資格を取り、得られる技術と知識を全て吸収し、次のステップへ行くのに最低2年はかかる。その間に多分、矢名の頭は定年で辞めるし、一人になった空手兄貴は掌を返したように、私になびいてくるだろう。フンッ、くだらねーっ!!バカばっかしだぜ。
 今日は川口グリーンセンターの芝張り工の手直し。嫌味な客側の担当者の上司と専務との確執と、空手兄貴の芝張り工の施行管理の未熟さが生んだ産物だ。汗だくになって。デコボコの芝生を平らにし、目土を入れ、ローラーを掛ける。ローラーもほとんど私が引いた。こういったことを地道にやっているが、無視される。
 会社に帰ってから、塀にパッカー車をぶつけて、塀がゆがんでしまったのが見つかって、おそらく私のせいだろうとの結論で、また冷たい視線を送り、現場監督のK氏などに言いふらしている。
 ああーーあ、もう嫌だな、こんな会社。現場監督のエースE氏は辞めるし、なんかおかしな人間関係が入社3ヶ月目で見えてきた。仕事は単なる造園人夫だし、夢とは程遠い。
 誰か相談に乗ってくれる人いないかな。
 もっとちゃんとした庭師の所で、今程度の給金で働ける所でも見つけよう。その前に施行管理士と技能士を取らなければ。もう、この会社の名義で申し込んじゃったんだ・・・。
 明日も黙々と働こう・・・。

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