厄払い

2002年8月15日
 私は40歳。数えで41歳で前厄である。というわけで、氷川神社に家族総出でお払いに行く。金参千円を奉納し、お払いの祝詞をあげてもらい、お払いを受け、お守りをもらう。これで前厄は大丈夫だ。
 家ではもっぱら施行管理士の勉強をしていた。親父がビールをくれるというので、やはり家族総出でもらいに行く。子供達は親父の肩をちょっぴりだけ揉んで、金千円づつもらう。うらやましい。ビールを1ダースばかりもらい、浦和学院が逆転負けをくらった瞬間を見て、家に帰る。家ではまた勉強だ。なんでこんなに勉強するのだろうか?弁護士か上級国家試験でも受けるんじゃないかってくらい勉強している。たかが、現場監督の資格試験なのに・・・。
 さあ、明日から仕事だ。それを考えるとなんかドキドキする。死ぬほどの暑さは去ったので、なんとか1年もちそうな気がする。怪我さえ気をつければ大丈夫だろう。いびられるのも、暑さが過ぎて、私自身の身体の動きがよくなれば少しは減るだろう。
 頑張らねば。私は家族を食わさねばならないのだ。弱音を吐く暇はない。死んでも前へ突き進んで、晴れて植木屋マイスターになるのだ!
 キャンプでは楽しかったが、連休最後はのんびり過ごしたいので、本日は家で昼寝しちゃお勉強&読書、昼寝しちゃお勉強&読書と洒落こむ。昼過ぎて、お勉強用のポストイットとフィルムを買いに町に出たが、人もまばらで、みんなあまりにも暑くて、家でゴロゴロしてるか、レジャーにでも行っているんだろうと推測。立秋を過ぎても暑さがおさまらない。どういうわけだ?このまま仕事に突入するのか?
 と、思いつつTVを観てると、家でゴロゴロしてるとかえってだるくなる、という特集をやっていた。一念発起してW部君へ電話。しかし留守だ。独身の彼も実家にでも帰っているんだろうか?男手がもうひとりいないと辛いので、S藤君へTEL。2回目でやっと捕まった。釣りには無関心な男だが、ビールを飲みながら焼き鳥を食い、釣りをするのだと誘ったら、行くとの返事。長男はX。
 クルマで江戸川へ向かい、途中焼き鳥とビールと餌を買う。夕方4:30頃からスズキ釣り開始。まだ、時間が早いので、餌をつけ仕掛けを投げ込んだら、宴会開始。うまい、涼しげな風の吹く川原でのビールはうますぎる!
 5:30を過ぎると、ボチボチ当たりが来る。5:40合わせてみて、リールを巻き上げると、来た!ナマズか?と思ったがスズキだ!!
 S藤君が転びながら、玉網で掬い上げてくれたのは、まぎれもない40cm級のスズキだった。正確にはフッコだけど・・・。
 しかし宴会はまだまだ続く。6:20頃また当たりが来た。風が強く、宴会に忙しかったので、他にも当たりがあったのを、見逃していたのかもしれないが、またスズキが上がった。2匹目だ。1日2匹は初めてだ。
 結局ビールがなくなったpm7:30納竿。家に帰ってスズキを捌いて、ビールと日本酒とウィスキーで乾杯。11時過ぎにお開きとなる。
 明日はもう連休最後だ。お勉強の総仕上げで1日を過ごそう。
 技能士と施行管理士の試験日まで、あと半月足らずだ。
 朝早く起きる。何時だか分からないが、大分早い。長男と2人で、早速山歩き。「熊出没注意」の看板の先で、角の少し折れたカブトムシをGET!
長男は大喜び。やはり早起きは三文の得だ。
 戻ると妻が朝ご飯の準備をしていた。次男も起きている。長男が卵焼きを作り、次男がなんだか分からないがいろいろ一生懸命手伝い、私はガーリックトーストを焼き、妻がその他全部を作る。
 早朝の山の朝飯はうまい。空気もうまいし、景色もいい。もう、サイコーだ!
 朝飯が終ると、ガキ共は食休みもせずに泳ぎ始める。よく飽きないもんだ。私はエアマットの上に寝転んで「岡倉天心」と「坪庭」に関する本を読む。コーヒーを飲みながら・・・。いつかこんなシュチエーションを夢見ていたが、実現してみると、またいいもんだ。
 私も食休みと読書に飽きると泳ぐ。もちろん今日も魚と一緒だ。ちなみに魚の種類はハヤ。貸しテントの名前はヤマガラ。持っていった野鳥図鑑や野草図鑑で、山の自然をいろいろ調べた。
 11:00。昼飯にヤキソバを食って、キャンプ撤収。そのまま、気の向くままドライヴ。昨日休みだった展望ローラー滑り台へも行く。しかし暑い。暑いので、というより、予定通り玉川村の玉川温泉保養所へ。単純アルカリ泉の温泉に浸かり、生ビールをぐびぐびやり昼寝。気持ちいい。ガキ共は囲碁とか将棋とかやっている。生意気な!私より高尚ではないか!!
 そして16:30帰途。帰りがけにうちの近くでラーメンと餃子で夕飯。妻の負担を軽くする、安手の外食で我慢の図だ。だが、程好く疲れた身体には、ラーメンのしょっぱさと、餃子のニンニクがよく染み透るようで、とてもうまかった。
 都幾川村木のむらキャンプ場・・・また行こう・・・。
 ああ夢の跡。
 家族4人でキャンプへ行ってきました。場所は埼玉県都幾川村木のむらキャンプ場。初日は朝6:30出発。
 まず小川町の川でハヤ釣り。ハヤといえば100匹単位が当たり前。玉淀にいいポイントがあるのだが、スケジュールの関係で小川町になった。魚はいる。だが釣れない。たかがハヤ釣りで坊主。がっかりする暇もなく、近くの展望台ローラー滑り台へ行く。が、月曜日は休みだ!!
 それでもがっかりする暇もなく、都幾川村へ向け車を走らせ、途中の明覚駅へ。ログハウス風の可愛い駅で近辺の観光情報を収集し、ついでに記念撮影。木のむらキャンプ場への途上で寄る場所を決める。
 都幾川村に入り、最初は建具会館を見学。この辺は木工場が多く、素晴らしい木工製品や建具などの工房が数多くある。その代表的な製品のサンプルをいろいろ見た。金があったら欲しいものがいっぱいある。テーブル・イス・障子・お面・麺打ち棒と麺打ち鉢etc.
 その後は、造園学校の同級生のS科さんから教わった慈光寺へ。タラヨウの超巨木を観る。慈光寺は天台宗だが、この山には他にも臨済宗の霊山院という東関東最初の禅寺もあって、月に何度か参禅できるらしい。是非一度行ってみたい。全山仏教センターみたいな所だ。慈光寺ではタラヨウの他、山門の前に堂々としたバナナの木があって不思議だった。よく見ると小さな実をちゃんとつけている。
 12:00頃、最終目的地木のむらキャンプ場に到着。そうめん食べて、キャンプ場の中心を流れる都幾川で泳ぐ。キャンプ場の辺りは、水遊びにちょうどいい深さの川になっていて、あくまでも澄んだ美しい川で、泳いだり、飛びこんだり、潜ったり、なんでもできる。親の目の届く所に川があり、もし流されても危険のない造りになっているので、小さな子供のいる人にもお薦めだ。うちのガキ共は日の暮れるまで川で遊んでいた。魚が沢山いるので、一緒に素潜りしていると、自分も魚になったみたいで、爽快で自由な気分になる。私も2時間くらい泳いだろうか?歳がいもなく・・・。
 夜はもちろんバーベキュー。缶ビール5本とワインを少々空けた。遠赤外線で焼いた肉や野菜は、周りの清廉な空気と清流の音とあいまって、この上もなくうまかった。
 そしてお決まりの花火をやり、山を度胸試しの探検兼虫取りで歩く。虫は取れなかったが、「熊出没注意」という看板の前で記念撮影。次男が泣き出してしまったので、キャンプ場へ戻る。
 就寝は10:00頃。山の時間はアバウトだ。今日の遊びはここまで。明日の顛末は、また明日の分で。それではまた。

お盆休み初日

2002年8月11日
 GW以来久々のまとまった休みだ。明日から都幾川村の木の村キャンプ場に行くので、今日はその準備。必要な物を買いに行ったり、クーラーボックスやなんかを出したり、クルマ洗ったり、釣りの準備をしたり。のんびりと時々本を読んだり、やめてるはずのタバコを吸ったり。ビールを飲んで、友人からの暑中お見舞いのメールに返事を出したり。とにかく仕事に明け暮れる毎日なので、自由な時間がいとおしい。
 明日は釣り、川遊び、虫取り、花火、バーベキュー。明後日は釣り、山歩き、川遊び、温泉。いろいろ計画があって楽しみだ。子供達も妙にウキウキしている。キャンプというのは何歳になってもワクワクしちゃうよ。
 カメラも持っていって、いい写真が撮れたら撮るぞ。レンズは50mmと70−300mmと100mmマクロでいいや。若い女の子いないかな?
 とりあえず、事故のないように気をつけて、いって来マース!

プロ試験

2002年8月10日
 やっと、夏休みに入る。通勤の車ももはや少ない。土曜日なので今日からお盆休みの会社が多いのだろう。今日は何もする事がない。昨日で職人部隊の全ての仕事を終えてしまったので、今日は終い上がりとの事で、張りきっていた。結局上がりは5:00だったが・・・。
 私はやはり暇なので、会社内にある大きなモチノキを剪定せよとのこと。1時間がプロの標準で、2時間なら合格という条件だ。専務から三葉透かしの基本を教わって、プロ試験開始。三葉透かしは知っているが、やったことはない。じっくり考えながらやっていたら、いつのまにか1時間が過ぎ、社長から激が飛ぶ。曰く「そんなに遅かったら、庭全体の木を落とすのに何日かかると思ってるんだ」「金が取れないぞ」「もっと、テンポを早く」etc.
 プロ試験は、3時間かかって終了。社長の批評では、まったくの素人から入ったオートレース親爺の新人の頃よりはマシとのこと。でも、及第点ではないようだ。プロは厳しい。正確さ、美しさ、早さの全てを完璧にこなさなければいけない。それでも、オートレース親爺の新人時代よりマシと言われたのは、専門校のH野先生、K池先生のおかげと、心の底より感謝、また感謝。
 夏は・・、地獄の夏はもうすぐ終る。しかし、本番はこれからだ。施行管理士と技能士の試験と、プロとしての自立が、今後は要求される。今年の夏は暑い。暑くてそして忙しい。人生で初めていわゆる食うための仕事に対して、真面目に取り組んで生きている今日この頃だ。
 今までの人生は、何故か浮き足立っていたように思える。今後の目標は、しっかり大地に足を付けて、造園会社と庭園研究会社を立ち上げるため、全ての人生を賭けようと思っている。
 サルスベリの花が満開だ。通勤途中の街路樹や植木畑にピンクと白の可愛い花が、これでもかというほど咲き誇っている。
 サルスベリが満開を向かえる時は、1年で1番暑い時期だそうだ。ここ2週間ずっと35度を超える日々が続いていた。今年の夏は、とにかく過酷な夏だったように思う。これだけ大汗を8時間も連続でかき続けた日々を送ったことなど、生涯で初めての体験だ。よく熱中症で死ななかったとつくづく感心する。
 そんな夏もやっと終りを迎えようとしている気配だ。一昨日から空が高くなり、初秋の風が吹き始めた。8/8(木)は立秋で、暦通りに夏が終りを告げ始めたのか?
 前から思っていたが、この最初の夏さえなんとか乗りきれば、植木屋として3年でも5年でも30年でもやっていけるような気がする。30年経ったら70歳だけど、70歳までやるつもりで植木屋になったのだから30年かけてマイスターを目指すのだ。ちょっぴり自信が出てきた・・・。
 果たして、私は本当に夏を乗りきったのだろうか?苦しかった日々も、とりあえず収束しつつある。
 明日から5日間お盆休みだ。身体も心もリフレッシュして、施行管理士と技能士の筆記試験のお勉強でもして、のんびり過ごそう。

庭師

2002年8月8日
 都内某会社会長宅にて庭師をやる。オートレース親爺と二人で消毒と軽剪定だ。都内なので、現場につくまでに1時間半はかかっただろうか?早出なのに、現場到着は9:00。それから会長宅とその長男宅の植木の消毒。ディプテレックスと展着剤をエンジン噴霧機で散布。小1時間ほどで作業は完了。
 その後、会長宅のカキ・サクラ・ウメ・イチョウ・その他中木類を剪定する。私もサクラの大木と高木を二本剪定。やっと植木屋=庭師らしい仕事をさせてもらえた。剪定も本数が少ないので、午後2時頃には、掃除まで全て完了し、会長婦人の話し相手になって、おいしい冷菓子と麦茶をごちそうになり、3時近くに帰途に着いた。
 今日は楽である。風もあったので、いつもの異常な大汗もかかず、さわやかな1日だ。庭師というのは、本来こんなペースで仕事をするものなのだろう。公共の植木屋?うんざりだぜ。やたら焦ってばかりで優雅さのかけらもない。やはり庭職についたからには、今日のようでなければ。専門校の同級生達で、シルバーや独自に仕事を展開している人達は、毎日こんな感じなのだろう。うらやましい。毎日がこんな感じならとても楽しい・・・。
 それに今日は不思議と涼しかった。8月9日は立秋とのこと。それで恵の風が吹いたのか?夏は乗りきったのだろうか?去年があれだけ暑かったので、今年はそうでもないとたかを括っていたが、今年も去年異常の猛暑で、とにかく大変だった。秋になって、がっくり夏後バテにならないよう、身体をしっかりケアしなければ。
 夜は友人の奢りで飲んだ。うまい焼き鳥屋と可愛い娘のいる安いスナックで、ご機嫌!ああーー、楽しい1日だった。
 早く本格の植木屋マイスター=庭師=造園家になろう。独立して、経済的にしっかりやっていければ、やはりこれほど楽しい仕事もめったにないと実感、実感。

遊軍です

2002年8月7日
 補欠じゃ自分が可愛そうなので、遊軍と呼びます。今日も現場へは行かず、寮と寮の隣の仮植え場の除草。つる草を取って、オオムラサキの下に生えた草をキレイにして、植木に影響の無い所に除草剤を散布。ついでに会社の2つの駐車場にも除草剤を散布。葉ものを退治する除草剤と、根から枯らす除草剤と展着剤を、水をたっぷり入れた除草タンクに入れて、よく混ぜて撒いた。水より先に薬だけ混ぜると煙が出てくるほど強烈な薬だそうだ。
 忌むべき雑草もよく見ると面白いもので、大きな雑草は秋に大きくなるセイタカアワダチソウに似て、グロテスクで気持ち悪い。しかし、小さな雑草はスミレに似て、黄色や青い花をつけてとても可憐だ。青い花はまさにノヴァーリスの「青い花」の世界。このHPのアサガオのように、幻想的で美しい。
 いったいなんと言う草花なのだろう?これから先日買った野草図鑑で調べてみよう。
 明日は、やっとまともな現場に出してもらえる。お盆前後はあまり仕事が無いのだ。仕事の内容は、またも消毒。この季節の植木屋の仕事といったら消毒が多いらしい。
 気温は何度までいくのだろうか?今日は36度。毎日、仕事中、夜寝る時などなどに、明かに熱中症の症状が出る。水は1日4リットルは飲む。アイスも食いまくる。おかげでコンビニで使う金がバカにならない。せっかくタバコを辞めたのに・・・。
 でも、背に腹は変えられない。あと3日でお盆休みだ。お盆には高原にキャンプに行く予定だ。帰りには、もちろん温泉に浸かってくる。
 あと3日。あと3日もてば、一生植木屋として生きていけるような気がする。

補欠

2002年8月6日
 今日も補欠。行くべき現場が無い。午前中は川口幹線街路樹抜根除草に、オートレース親爺と行く。13時には帰社しろとの命令で、午後からはISO9000に向けての道具類の整理やら、識別標の作成やらで、のんびり過ごす。
 5時になったので帰ろうとすると、専務が空手兄貴と矢名の頭が帰ってくるまで待ってて、明日の打ち合わせとのことで、足止めを食う。結局二人が帰って来て、明日矢名の頭とオートレース親爺が行く現場への道の珍妙な検討会がかれこれ30分。ああーー、疲れたぜ・・・。
 帰路につけたのは、結局6:30を回っていた。珍妙な道順検討会のせいだ。
 今日も気温は36度を超えたらしい。あのまま抜根除草を続けていたら、多分熱中症でダウンだっただろう。ISO9000に感謝、感謝。
 明日も補欠で、行くべき現場が決まっていない。どうしよう?このままずっと補欠かな?

一人親方

2002年8月5日
 今日は朝から鹿頭ジジイのシカトで始まり、夕方のシカトで終った。実に気分が悪い。何様のつもりだ?オレが何したっていうんだよー。けっ、低級な付き合いはこっちからお断りだぜ!
 というわけで、今日は一人親方になった日だ。N建設社長宅の手入れに行くはずだったが、うちの社長から「キミが行くと、Nさんに文句言われちゃうから、変わりに私が行く」とのお達しがあり、私は寮の隣の植えダメの除草、及び朝日町中央公園クレーム処理の掃除へ赴く。
 どちらも一人っきりなので、完全に野放しの一人親方状態だ。好きな時にコンビニに行き、好きなものを、好きなだけ飲んで、適当に働き、適当に休む。それでも途中で専務が様子見に来たり、監督K氏が手伝いに来たりするので、気は緩められない。一応仕事はしっかりやっておかないと・・・。
 私の会社では、職人は極端に信用されていないのだ。絶対に会社の鍵は預からせてもらえないし、給料も日当制で、有休など無い。もうすぐお盆なので、休みが多くなり、当然日当が減り収入も減る。盆と正月とゴールデンウィークは、日当制の職人にとっては、死の月なのだ。
 だが9月1日の1級施行管理士の筆記に受かり、12月の実地に受かれば全てが変わる。一兵卒から下士官へ昇格するようなものだ。完全月給制と隔週週休2日と有休休暇が手に入る。サラリーマンでは当たり前の事だが・・・。年俸も昔のサラリーマン時代に近い線まで戻るだろう。
 こりゃ、勉強しなきゃ!石にかじりついても合格しなきゃ!!死んでも受かって、下士官にならなきゃ!!!
 今から勉強します。
 休みで、用事が無くて、天候のいい日は、5月の末以来、よく江戸川へ釣りに行く。川猟師でさえ幻になっている「川に遡上してくるスズキ」を釣るためだ。矢名の頭と監督K氏がよく釣っているそうで、仕掛けや餌について、よくよく聞いて、もう何回通っただろうか?ある時は長男と、ある時は釣り好きの友人W部君と足げく通ったが、今だ坊主の日々が続いていた。長男はともかく、W部君はもはや半信半疑。一度バカでかいナマズを釣ったので、誘えば来るが・・・。
 午前3時にW部君とうちで待ち合わせ、出発。4時半には釣り開始。18号から20号のスズキ針に青イソメを5から6匹房掛けにして投げる。30分、1時間、1時間半・・当たりはない。「今日も坊主か」と思った瞬間、来た!竿がぐいぐい引き込まれ、鈴が鳴る。充分食わせててから、ガキッと合わせた。引きが強い。「根がかりか?」とかいっていると、ピョーンッと白い魚体が跳ねた。スズキのエラ洗いだ。落ち着いて引き寄せ、一気にごぼう抜き。午前6時20分、36cmのスズキが上がった。やった、ついにやった。まだまだ型は小さいが、まぎれもなくスズキだ。
 結局、本日はこの一匹だけだったが、家に帰って、昼寝して、施行管理士のお勉強をして、夕方さばいて洗いにして食す。うまい!家族全員がそのうまさに舌鼓を打つ。さすが夏の高級魚の王者、川上がりのスズキだ。ビールにも日本酒にもよく合う。
 本日の主だった行動はこれだけ。施行管理士の勉強もしたが、身体が疲れまくっているのか、安心して昼寝を始めると、えんえんと眠っていた。スズキが釣れたことが、何より嬉しい一大事だった。体調を維持するのは、食事・睡眠・ストレス解消の3本柱だと思っているので、そういった意味では良い休日だったかもしれない。
 明日からも仕事だ。夜は静かにお勉強と、このHPの更新に使おう。2級技能士と1級施行管理士の試験も、もう一ヶ月しかない。

特別扱い

2002年8月3日
 今日は行くべき現場がない。オートレース親爺と空手兄貴がコンビでどこかへ行った。私はとうとう職人クビか・・・。と、思いきや、新社屋の完成がなったので、その整備に使われる。一緒に新社屋の整備をしているメンバーは幹部社員と女性だけだ。職人は忌み嫌われるように外仕事に出されている。昼飯は寿司を振舞われ、ビール付だ。そこへ、矢名の頭が運悪く帰ってきた。矢名の頭の寿司は無い。「中でお弁当食べなよ」と社長たちが誘ったが、気を悪くしたのか「いや、今日は早上がりさせてもらいます」と言って帰ってしまった。私は新社屋でビールまで飲んでいた。これが嫌われる原因だ。でも、社長が薦めたんだもん、仕様が無いじゃん!
 片づけやら、机の運搬やら、ISO9000のための道具の整理やらやっていて、ちょっと今日は楽だなと思っていると、夕方になって突然専務が「寮の隣の敷地に植えたハナミズキとオオムラサキの仮植え場に草が凄く生えてしまっているので抜いてきて」とのこと。トホホホホ。結局、最後は得意の抜根除草だ。4:00から5:00まで、死ぬほどの勢いで、夏の物凄い勢いの雑草を、手が痛くなるほど抜きまくる。
 もう、抜根除草で、この会社において、私の右に出る者はいまい。
 帰りになぜか、オランダのDRUMという、紙巻タバコを買って、家で一服して、喫煙を楽しんでしまった。
 また、私は愛煙家に戻ってしまったのだろうか?もう要らないと思って売ったデュポンは1万円になったが、もったいないのでとっておいたフランス・ワールドカップ記念限定銀製ジッポ−を復活させた。4年前のナニのプレゼンツの品だ。
 タバコはうまい。でも、もう薬みたいに、夜と朝にちょっとしか吸わないだろう。体がそんなに受け付けないのだ。やはり植木屋は健康的な職業だ。

早じまい

2002年8月2日
 川口幹線道路27号線に、クルメ・サツキ・オオムラサキの各ツツジを、合計200本程植え替えに行く。空手兄貴とオートレース親爺がチェックし、抜き、植える本数を置いていき、私が植えて行く。
 最後にきれいに長手で刈込んで、掃除をして、潅水、工事写真も撮る。結局仕事は3時前に終り、会社に帰ってからは5時まで遊んでいたようなものだ。今日は比較的楽だった。5時きっかりに家に帰る。こんな日もたまにはないと・・・。
 今日は小次郎が大活躍。先日のS氏邸では主に武蔵を使った。場所が狭かったせいだ。2丁の長手を使うのは、この会社では私だけである。二天一流、ウッフフフフ・・・宮本武蔵だ。
 腕が上がったら、矢名の頭のような、鋼の大きな刃の立派な長手を買いたいものだ。今は岡恒を使っている。木バサミも剪定バサミも岡恒だ。ワンパターンなので、もう一つ剪定バサミを阿武隈にしてみたが、高いがなかなか切れ味が良い。さすがは阿武隈だ。でも昨日、根っこを切るのに使ってしまったので、よく研いで上げなきゃ。そういえば最近全然道具の手入れをしていない。
 このHPも日記ばかりで更新していない。フォトダマや「若奥さまシリーズ」や「魅惑の中国美人シリーズ」をHPに載せないと。
 明日の日曜日。ゆっくりもしていられないな。やっぱり、やることが山ほどある。
 

うだる

2002年8月1日
 うだるような暑さだ。東京も35度をとうとう超えてしまったらしい。アスファルトが熱くて、足の裏がやけどしそうだ。そんなわけで、今日は川口幹線道路街路樹抜根除草。空手兄貴・オートレース親爺・私の3人メンバーだ。
 朝がた、出る前に専務から大きな木の根っこを7本ばかり、チェーンソーでバラバラにして、パッカ−車に詰め込むように指示される。仕事前に全員汗だくで、フラフラだ。
 抜根除草をしていても、空手兄貴の動きがおかしい。完全に熱中症を起こし、動きが亀のようにのろい。休み時間も全員しゃべる事も無く、新芝川の橋の下のホームレスのテントの隣で、ひたすら寝る。空手兄貴の動きがあまりにも悪いので「逆おっ飛ばし」でもかけてやろうかと思ったが、気の毒なのと、自分も熱中症と戦うのが必死で、やめにしといた。
 なんやかんや言っても、全員の頑張りで予定のスパンを4:30に終え、帰社。会社では明日の準備に、隣のS農園でクルメツツジ128本・サツキツツジ21本・オオムラサキツツジ21本をダンプに積み、500Lのタンクに水を入れ、植栽の道具を積みこんだ。明日は幹線27号線街路樹の低木の植え替えだ。「この暑いのにスコップを持つんだぜぃ!」とは、空手兄貴の嘆きだ。
 「さて、帰るぞ」という段階になって、専務が矢名の頭が帰ってこない、連絡もつかないと騒ぎ出した。現場は近所のO氏邸。高血圧症持ちなので、この暑さで倒れているんじゃないかと心配し、専務自ら様子を見に行った。私はその時点で帰ってきてしまったので、どうなったか事の顛末は分からない。今日出社して分かるだろう。大丈夫だろうか?とにかく今日は今年最高の暑さだったのだ。
 家に帰る前に、造園関連の本と写真を取りに大宮駅の周辺に寄った。忘れていたが、今日は氷川神社の夏の大祭だ。昨日も花火大会で親父の家から良く見えるので、女房子供を連れて、花火見物をしながらビールを飲んでいたのだが・・。
 車は駅方面まで入れないし、凄い渋滞だ。とりあえず行けるとこまで行って、駐車場を探し、ガーデンデザイン入門(農文協2,850円)、坪庭のすすめ(講談社1,500円)、趣味の園芸(NHK出版協会480円)を購入、さくらやで先日の北茨城旅行の写真を受け取る。うーーん、ボクって勉強家!!写真も上出来でご機嫌だ!!!
 明日は金曜日か。1週間の通りすぎるのが異常に早く感じる。1日1日命を削るように仕事をしているのに・・・。1日1日を大切に、少しでも、1歩でも植木屋マイスターに近づいている事を確認しながら生きていこう。時間はそんなにないのだから。

S氏邸初日

2002年7月31日
 今日も個人邸である。都内の尾久にあるS氏邸。最初行った時は人が住んで無いのかと思った。家は立派な豪邸だが、庭は草ぼうぼうの、ヤブカラシニョキニョキのジャングル状態。蚊や蜂の巣やいろんな生き物が自然増殖していて、とても人の住んでいる気配が無い。だが住んでいたのだ!立派な美人の奥さんが3時のおやつと蜂退治のキンチョ−ルを持って、2度ほど出てきた。きっと旦那が庭いじりに全く興味が無く荒れ放題なのだろう。それを年1回うちの会社に金を払ってきれいにさせているという図式みたいだ。
 とりあえず草を抜いて、ツルを取って、空手兄貴は高木剪定、オートレース親爺は中木刈込み、私は低木刈り込みと掃除。今年最高の暑さの中、鬼のように働いて、2日の工程を1日で終らせて帰ってきた。都内は34.8度、熊谷で36度まで気温は上昇したらしい。実質はもっといってるだろう。飲み物もアクエリアスと麦茶と中国茶を全部で5リットルは飲んだだろう。とにかく仕事は終った。完全に終らせたのだ。
 夜からは、熊専(造園学校)の定例飲み会だ。13人集まって、唯一の女性も来てくれて楽しかった。みんな結構日焼けしていて、各々仕事も忙しいようだ。いい事だ。結局プロの植木屋に就職して未だにやっているのは3人だけになってしまったが、2級技能士や1級施行管理士を受ける人も結構いて、いい刺激になる。ライバルだ。勉強しなきゃ!
 飲み会は、いつもの「さくら水産」からカラオケボックスに流れ、現役植木屋の一人のY岡さんと二人で中国パブへ行く。相変わらずチーママと寧寧が美しい・・・。トリッキリコニカを買っていって写真を撮ったのだけれど、お祭りの日だったので、いつものチャイナドレスじゃなくて、浴衣姿でちょっと残念。また今度行った時、チャイナドレスの二人を撮って来よう。寧寧の携帯の番号も教わったし・・・。ああーー、デートしたい。あんな中国超美人と!!!。
 今日は川口街路樹抜根除草だ。適当に頑張ろう。

I氏邸2日目

2002年7月30日
 豪邸I氏邸2日目である。しかし、今日も朝から掃除専門だ。暑い。死んでしまうんじゃないか?というくらい大汗をかいて、掃除に専念。
 今日は専務も来ていて、親方らしくマツとマキを中心に剪定している。空手兄貴とオートレース親爺も健在だ。
 I氏邸は、出入りの職人さんに、しきたり通り、いろいろなことをしてくれる。休み時間と昼時にはお茶と御菓子を出してくれるし、作業の最終日には、何かお礼の品を必ずくれる。お茶の時間に出してくれる特製梅ジュースのうまいことといったら・・・。
 また、今日作業終了後のお礼の品は缶ビール2本づつ。うれしいねえ。暑いので缶ビールでも帰ったら飲んで、心と身体を癒してくださいということだろう。名家の仕事は、掃除専門とは言え、本当の庭職になった感じがして、とても楽しい。
 贅沢を言えば、これが剪定などの適期の秋とかだったら最高なんだけどなあ。
 真夏だもんなあ。毎日軽い熱中症になりながら、命を賭けて頑張っている、けなげな私です。

夢の個人邸

2002年7月29日
 個人邸のメンバーにやっと入れてもらえた。以前バリカン刈り込みで失敗し、自信喪失したI氏邸だ。
 しかし。朝から道具が足りなかったりして、専務にこっぴどく怒られる。道具は他の人が用意したのであって、私は社長命令で動噴の稼動を確かめていたのだが・・・。
 仕事の内容も、刈り込みをちょっとやっただけで、あとは掃除一辺倒。F園の助っ人2人と空手兄貴が各種高木・中木の剪定で、オートレース親爺が生垣の刈込みだ。私はオートレース親爺の手元扱い。最後に大掃除をさせられたが、結局、明日もあるので仕事途中で切り上げた。
 帰りは最後の様子を見に来た専務の車で帰ったが、社中でも散々お小言を言われてしまった。曰く「学校で何習ってきたんだよ?全然実践的な学校じゃないな」
「半年から1年やって、芽が出そうになかったら職人は辞めてもらうからね。資格を取って現場代理人をやるとかになるかもしれないよ」
「友達の会社なんかも、新人教育は5時過ぎてからやってるらしい。キミも日の高い今の内に、5時過ぎから剪定の練習でもしろよ」
「造園屋は危機感がないよな。他の業界だったら、今ごろ大変だろ?」
などなど。年齢もそう変わらない、実社会での経験は私のほうが上の専務から、ここまでボロクソにいわれることはないのに(T_T)。
日本独自の資本主義社会の鉄則で、金持ってる方&雇ってる側が偉い、言いたいこといえる、金持って無いやつ&雇われてるやつは(特に年取った新人)カスも同然、という不文律が厳然と存在している。
 明日も個人邸。私は何をやっていいか分からない。先輩達には掃除をさせられるし。掃除ばかりしてると専務に怒られるし・・・。
 とにかく、鹿頭ジジイの態度といい、他の人間との交流といい、この会社の人間関係にも疲れたので、資格取ったらもっとまともな庭造りをする会社に移りたい。オートレース親爺も空手兄貴も、そう薦めているし、職人世界は給料安くても人間関係だけはさっぱりしてると思ったんだけどなあ。当てがはずれちゃったよ。
 私も人付き合いは、そんなに下手なほうじゃないんだけどねえ。

北常陸の旅

2002年7月28日
 昨年友人達と行った北茨城に再度行ってきた。どうしても行きたかった岡倉天心記念五浦美術館に行ってみたかったし、北常磐三大渓谷のどれかにも行ってみたかったからだ。
 詳細は写真が出来たらフォトダマで紹介するが、1日家族と一緒に、海と山と芸術に戯れた旅に出て、気分は爽快だ。
 ゆっくりと温泉にも浸かったし、釣りもやったし、おいしい海の幸も食したし、お泊りがあればまた格別だったが、贅沢は言えない。少し強行軍だったが、高速道路も整備されているため、それほど苦でもなかった。
 子供たちも、海で泳ぎ、釣りもして、川で泳ぎ、なんだか分からん芸術を見て、温泉に入って、最後においしいラーメンで締めたので、ご機嫌だ。
 北常磐や、いわき市の勿来海岸の海は荒れていたがきれいだ。魚は釣れなかったが、隣のオジさんがでかいボラを釣り上げたので、子供たちも大喜び。
 その他、多々訪問と珍道中話が尽き無いが、続きは写真付きで「フォトダマ」で。
 それでは、お後がよろしいようで・・・。
 個人邸の仕事が始まったが、私には出番無し。私は相変わらず川口街路樹抜根除草だ。専務からも「早く剪定のコツを空手兄貴等から習って、個人邸の戦力になるように」とのお達しがあるが、そんな暇無いじゃないか!
 来週も個人邸の予定が2軒ほど入っているが、私にはお呼びがかかるかどうか。だいたい、今の会社で、誰が剪定が上手で、XXが得意で、XXXXがうまくて・・・なんて、全然分からない。空手兄貴のガセネタ(ふかし)ばかり聞かされていて、実際に誰が何が得意なのか、さっぱり未だに分からないのだ。だから、誰に何を教わっていいのかも分からない。空手兄貴の話を鵜呑みにすれば、全て空手兄貴に習えば間違いないようだが・・・。それじゃ、トンでもない方向へ連れていかれそうだ。
 京都帰りの専務も、道具を見ると、「趣味の園芸」に広告で出ている、6から7千円の木バサミと剪定バサミの両方を兼ねたハサミを使っているし・・・。
 やはり、この会社では、引退した伝説の親方H田さんが、誰の目から見ても、押しも押されぬ名人だったのだろう。そういった人に親しく教われなかったのは、大変不幸な事だ。
 来週のホワイトボードには、私の予定は具体的に入っていなっかったが、一体何をするのだろうか?また、抜根除草か?
 抜根除草なら、もはや名人だぜ!あまり、威張れた事じゃないけど・・・。

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