伝説の名人庭師
2002年4月5日 今日、伝説の名人庭師と仕事をした。
植木屋のメッカ川口安行でも知らない者がいないという、伝説の名人庭師だ。名人は長くうちの会社で総親方をやっていて、現社長が先代社長と代替わりする時も「息子を頼む」と言ったほどの方だ。現社長にとっても、職人としては兄貴格にあたるそうで、頭が上がらないそうだ。名人は齢六十数歳、私の親父と同年輩で、今は楽隠居の身である。自宅の隣りに会社の第2植木畑があって、その仕立てを趣味と実益を兼ねてやっている。今日は社長に電話があって、若くて馬力のある奴に、高木の剪定を頼むとのことで、私と空手兄貴と二人で赴いた。専務の話では、全て向うへ行って名人の指示に従うようにとのこと。空手兄貴も私も、伝説の名人と仕事をすることに多少の緊張を覚えた。
伝説の名人は、今尚、頑強な身体と鋭い眼光の中に、涼やかな輝きを放っている。
若くて張りきっている我々を実の息子のように慈しんでくれた。私の空手の先生も極真会史上最高の天才と言われているが、後光がなんとなく似ている。
伝説の名人は、高木でどうでもいい木は我々に任せ、中木を剪定していた。早い。そして脚立から降りて剪定する時、同時に足で落とした枝を集めて掃除している。これが通常の職人の2〜3倍早いと言われる技の一片だ。
名人は全国に数百人の弟子がいて、旅行をすると、弟子たちが絶対にうちに泊まってくださいと言われるので、旅館代が要らないと噂されている。でも、名人は自慢話はしない。一服の時も、わざわざ居間にあげてくれて、お菓子とお茶をふるまってくれ、体験談で我々にいろいろ教えてくれた。石の据え方、剪定のコツ、職人としての生き方・・・・etc。
安行に就職して、本当に良かったと思う。私はこの名人のようになりたい。かの人は子供の頃から50年以上植木屋をやっている。追いつくには、どのくらいの速度で、どのくらいの年数突っ走ればいいのだろうか?多分無理だろう。
でも、私は名人の継承者の一人になろうと決めた。名人はそれほど魅力的な方だった。
植木屋のメッカ川口安行でも知らない者がいないという、伝説の名人庭師だ。名人は長くうちの会社で総親方をやっていて、現社長が先代社長と代替わりする時も「息子を頼む」と言ったほどの方だ。現社長にとっても、職人としては兄貴格にあたるそうで、頭が上がらないそうだ。名人は齢六十数歳、私の親父と同年輩で、今は楽隠居の身である。自宅の隣りに会社の第2植木畑があって、その仕立てを趣味と実益を兼ねてやっている。今日は社長に電話があって、若くて馬力のある奴に、高木の剪定を頼むとのことで、私と空手兄貴と二人で赴いた。専務の話では、全て向うへ行って名人の指示に従うようにとのこと。空手兄貴も私も、伝説の名人と仕事をすることに多少の緊張を覚えた。
伝説の名人は、今尚、頑強な身体と鋭い眼光の中に、涼やかな輝きを放っている。
若くて張りきっている我々を実の息子のように慈しんでくれた。私の空手の先生も極真会史上最高の天才と言われているが、後光がなんとなく似ている。
伝説の名人は、高木でどうでもいい木は我々に任せ、中木を剪定していた。早い。そして脚立から降りて剪定する時、同時に足で落とした枝を集めて掃除している。これが通常の職人の2〜3倍早いと言われる技の一片だ。
名人は全国に数百人の弟子がいて、旅行をすると、弟子たちが絶対にうちに泊まってくださいと言われるので、旅館代が要らないと噂されている。でも、名人は自慢話はしない。一服の時も、わざわざ居間にあげてくれて、お菓子とお茶をふるまってくれ、体験談で我々にいろいろ教えてくれた。石の据え方、剪定のコツ、職人としての生き方・・・・etc。
安行に就職して、本当に良かったと思う。私はこの名人のようになりたい。かの人は子供の頃から50年以上植木屋をやっている。追いつくには、どのくらいの速度で、どのくらいの年数突っ走ればいいのだろうか?多分無理だろう。
でも、私は名人の継承者の一人になろうと決めた。名人はそれほど魅力的な方だった。
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